幕末藩主に学ぶリーダーの資質(第6回)

ご乱心?主君自ら脱藩した請西藩・林忠崇のプライド

2015.02.28 Sat連載バックナンバー

 産業能率大学が毎年行っている「理想の上司像アンケート(PDF)」を見ると、新入社員の人気を集めているのは、「率先して自ら行動する」上司のようです。しかし実際には、「自分から動くようにしているのに部下がついてこない」と悩んでいる上司が多いのではないでしょうか。

 このようなギャップが生まれる原因について、吉田松陰の残した言葉が示唆的です。

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし」

 夢──求めるビジョンがはっきり示せないリーダーでは、どんなに行動したとしても成功はおぼつかないでしょう。

 もちろん、ビジョンがあったとしても、部下に伝わらなければ意味がありません。部下は「夢なき者」と感じて不安になるでしょう。単に自分が動くところを見せるだけでは、他人はなかなか動かせません。裏を返せば、ビジョンを伝えられる人は困難なプロジェクトでも他人を動かせるのです。

 藩主自ら脱藩するという破天荒な行動を取った請西(じょうざい)藩主・林忠崇(ただたか)も、そういう人物でした。

 

一文字大名の矜持

 請西藩は今の千葉県木更津市の辺りにあった1万石の小藩です。藩主の林家は徳川家と深い縁を持っていました。

 徳川家康の祖先・世良田有親(せらだ・ありちか)親氏(ちかうじ)父子が敵に追われて雪山をさまよっていたところ、忠崇の祖先・小笠原光政(みつまさ)が二人をかくまい、ウサギの吸物でもてなしたのです。のちに親氏は三河(愛知県東部)の大名になって松平と姓を改め、光政を侍大将に招いて林姓を与えました。

 光政が有親と親氏を助けたのが年明けのころだったので、これ以降、林家は新年の祝いの席で、将軍より最初に兎の吸物と盃を受ける「献兎賜盃(けんとしはい)」の栄誉に浴したのです。

 林家の家紋は「丸の内三頭左巴に下一文字(まるのうちみつがしらひだりどもえにしたいちもんじ)」という珍しいデザインですが、これは丸い盃と一番目を意味する一文字を組み合わせたもので、林家の誇りと徳川家への忠誠が表現されています。このことから、林家は“一文字大名”とも呼ばれていました。

 徳川家と強く結びついた林家の忠崇が、幕府を支持する「佐幕派」だったのは当然でしょう。

 忠崇は先代藩主・忠交(ただかた)の急死に伴い、1867年6月に20歳で請西藩主を継ぎました。同年10月には大政奉還が行われ、12月の王政復古の大号令で幕府は廃止されます。

 藩主となってすぐに幕府滅亡と直面した忠崇は、“一文字大名”の忠義を示すために佐幕を貫こうと決意しました。

 

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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