幕末藩主に学ぶリーダーの資質(第3回)

地方からでも日本の舵は取れる!福井藩・松平春嶽

2015.01.26 Mon連載バックナンバー

 2015年3月、いよいよ長野から金沢まで北陸新幹線が開通します。これにより、およそ2時間半ほどで日本を縦断できることになります。また、昨年末には東京−名古屋間を結ぶリニア鉄道(中央新幹線)の着工式も前倒しで行われ、まもなく本格的な工事がはじまるとのこと。完成は2027年とのことで、いささか気が早い話題かもしれませんが、地方と東京の距離は、今後ますます短くなっていくものと思われます。

 交通のさらなる発展で距離によるデメリットが少なくなる中、企業のあり方にも変化が起こっており、東京への一極集中ではなく、地方で頑張る企業が増えているといいます。都心に比べて土地や人件費が安く、固定費が抑えられることや、地元密着型の特色あるサービスで同業他社との差異化をはかれるなど、地方ならではのメリットもありそうです。

 さて、幕末においても、江戸から遠く離れた諸藩から、先見の明のある政治家や学者が多く生まれています。以前に紹介した長州藩(山口県)もそうですが、西日本だけでなく、北陸や東北でも、いち早く軍備の近代化や藩政改革に取り組んだ藩がありました。

 そこには、地方企業の経営者と同様に、地方独自のメリットを活用した優れた藩主の存在があります。今回は、そうした藩の中から、江戸から遠く離れた北陸で、地の利を活かした改革を成功させ、幕末維新で活躍した福井藩主・松平春嶽(しゅんがく)を取り上げたいと思います。

 

日本海航路を利用した財政改革

 松平春嶽は、実名を慶永(よしなが)といいますが、生前から好んで使った「春嶽」の号でよく知られています。

 もとは徳川御三卿のひとつである田安家に生まれ、福井藩主・松平家に養子に入ります。藩主となったのは1838年のことで、彼はまだ11歳でした。当時は東北を中心に大きな被害を出した天保の大飢饉がようやく収まったばかり。藩の財政も非常に厳しいものでした。

 そんな最中、春嶽は幼いながらも、率先して倹約にはげんだようです。当時の記録には「(春嶽の食事は)朝夕の食事は漬け物ぐらいしか召し上がらず、昼も一汁または一菜のみだった」と記されています。

 とはいえ、実際に彼が藩政の主役になるのは17〜8歳の頃から。先代に使えていた家臣に変えて自分の側近グループを要職につけ、同時にこれはと見込んだ者たちを大胆に抜擢して行きます。

 藩政改革を進めるにあたって春嶽が注目したのが、海路を使った貿易でした。福井藩内には、北前船の寄港地である三国湊(福井県坂井市)が栄えていました。そこで、これを更に発展させようとしたのです。

 最終的に、貿易相手として福井藩が選んだのは、大きな購買力を持つ諸外国でした。1850年代後半にやっとのことで幕府の許可を得た福井藩は、長崎のオランダ商館との間で販売ルートを確立。生糸の輸出で多くの利益を出したといいます。

 

海外情勢に対応した軍制改革

 このように、日本海は福井藩に多くの富をもたらしましたが、同時に危機もまた、海からやってきました。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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