幕末藩主に学ぶリーダーの資質(第2回)

会津藩/しがらみに翻弄された若き藩主・松平容保

2014.11.28 Fri連載バックナンバー

 突然の衆議院解散で、印象が薄れてしまった感のある元経済産業大臣・小渕優子の政治資金問題。「政治とカネ」を巡る重要な事件だけに、しっかりと説明責任を果たして欲しいところですが、彼女が記者会見で述べた「父の代からのスタッフを監督しきれなかった」という言葉が非常に印象的でした。

 ビジネスの世界でも、「先代以来の」などという言葉が横行し、身動きが取れない状態に陥っている会社をよくみかけます。

 やる気のある若い社員が新しい取引先を見つけてきても「いまの取引先は、先代が創業した際に力になってくれたから」と却下されたり、効率の良いシステムの導入を提案しても、「旧来のシステムで頑張ってくれた年配社員たちが納得しない」と退けられたりと、ビジネスの現場では、「義理と人情」の理論がまかり通ることが往々にしてあるものです。

 こうした「しがらみ」は昔からありました。特に戊辰戦争に敗れ、明治維新後も「朝敵」として辛酸をなめることになる会津藩は、「先祖代々のしがらみ」に運命を左右された代表例といえます。

 

藩祖が残した会津藩の「家訓」

 戦国時代末期には、伊達政宗の野心を抑えるため、名将としてしられた蒲生氏郷(がもううじさと)が配置されるなど、関東への出入り口にあたる会津の地は、東北支配の重要拠点とされてきました。そのため、後には3代将軍・徳川家光の異母弟である保科正之(ほしなまさゆき)が会津藩主として配されました。

 家光から大きな信頼を寄せられた正之は、その期待に応え、家光、そしてその息子で第4代将軍になった家綱の幕政をよく支えたことで、正之は徳川一門であることの証ともいえる松平姓を名乗ることを許され、家光の死去にあたっては、直接、幕府の将来を託されます。

 このときに正之が定めた藩の決まりが『会津家訓十五箇条』です。これは歴代の藩主と藩士たちに受け継がれていきますが、その中に「何があっても会津藩主は幕府に忠誠を尽くさなくてはならない。もし、藩主がこれに背くことがあれば、藩士は藩主の命令に従ってはならない」と書かれていました。

 これこそが、江戸時代末期に18歳で藩主となった松平容保(まつだいらかたもり)をしばる「しがらみ」となってゆきます。… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter