幕末藩主に学ぶリーダーの資質(第14回)

「人」に投資し時流に乗る、松代藩・真田幸貫の戦略

2015.06.30 Tue連載バックナンバー

 帝国データバンクの調査によると、現在、日本には創業100年を超える企業が約2万7,000社あるそうです。規模でいうと、従業員10人未満が5割、年商10億円未満が8割と中小企業が多く、業種では消費関連の小売業が3割弱と最多。まだまだ「不景気」という言葉が挨拶代わりに交わされる時代にあって、これは意外な統計結果ではないでしょうか。

 組織を末永く運営することは多くの経営者が目標とするところであり、従業員にとっても、長く働ける組織には大きな魅力を感じるものです。では、10年、20年、そして50年…と、持続可能な範囲で運営方法を切り替えるには、どうしたらいいのでしょうか。

 ある世界的企業が日本の長寿企業の特徴を分析したところ、江戸時代後期に多かった家族経営に似ているとのこと。人口減少と不景気の折、「家」(ここで言うところの「会社」)の存続を最優先し、短期的なもうけや急成長を度外視したといいます。

 長期的視野により組織をもたせるのは藩も同じでした。信州・松代藩主(長野県長野市)として30年ほど活躍し、黒船来航の前年に死去した真田幸貫(ゆきつら)は、時代を読みながら藩を育て、次世代を救いました。彼の治世には、深刻な災害が頻発して経済は衰退し、さらに西洋列強の脅威が迫るなど、今と同じように社会不安の絶えない時代だったのです。

 

世界情勢に即して段階的に藩を改革

 江戸時代初期の松代藩は藩主の変遷が激しかったものの、1622年、真田信之が藩主に就任すると、幕末まで同地を領有します。信州の真田家といえば、戦国時代末期、拠点とした上田において徳川軍を2度も撃退した武勇の一族。信之の父は、家康が恐れおののいたという謀略家・昌幸、弟は言わずと知れた「日本一の兵(つわもの)」こと信繁(幸村)です。昌之と幸村は関ヶ原の戦い・大坂の陣で豊臣方につきましたが、信之が両合戦で徳川に加勢したため家の存続を許され、松代へ加増のうえ領地替えとなりました。

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 8代藩主の幸貫は真田の血筋ではありませんが、その政治手腕と剛毅な人柄は「信濃の獅子」と呼ばれた信之と並び称された人物です。幸貫は白河藩(福島県白河市)松平家からの養子で、実父は寛政の改革を主導した老中・松平定信、曽祖父は8代将軍・吉宗。この出自や、海外情勢をにらんだ藩政改革が評価され、幸貫は藩政を開始して十数年後、老中・海防掛として幕政にも参画します。

 近代兵器を有する外国に対抗するには、「兵器(金)」「兵制(人)」を備える軍事改革が必要となります。幸貫はその前段階として、人材育成と殖産興業策を改革の2本柱としました。軍備に不可欠な巨額の財源を確保するため、人材と産業を先に育てようとしたのです。

 人材養成としては、まず武芸奨励の触れを出して藩士の自覚をうながし、藩校では洋学や自然科学分野など最新のカリキュラムを矢継ぎ早に投入しました。また、農民を軍役に動員するよう定めます。この「農兵」の構想は、黒船以降に諸藩の指針となった新たな取り組みです。

 殖産興業策では、鉱山開発、硝石・硫黄の採掘、植林などを展開して産業開発と収益増加を目指します。こうした事業に関連した学問を奨励したこともあり、松代藩の実質的な石高は過去最高の12万4,000石を記録、公式の10万石を上回りました。

 

腹心・佐久間象山とともに「松代の大砲」を育成

 幸貫が老中に就任した年はアヘン戦争(イギリスが中国を属国化した戦争)のさなかであり、外圧への緊張感がピークに達しようとしていました。そこで幸貫は、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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