幕末藩主に学ぶリーダーの資質(第13回)

ワンマン運営で自滅した水戸藩・徳川斉昭の光と影

2015.06.24 Wed連載バックナンバー

 組織のトップには、時に「カリスマ経営者」と呼ばれる人物が登場し、業界やメディアをにぎわせます。特徴は、大胆な改革を推進する決断力と発想を持ち、言動が力強いという点。自信に満ちあふれ、華のあるキャラクターである彼らに憧れるビジネスマンも多いことでしょう。

 ただし、このタイプのリーダーは、周囲の意見に耳を貸さないワンマン運営者であるケースであることも珍しくありません。権力や自分の信じる道に慢心して周囲が見えなくなり、ひとりよがりになってしまいがちだからです。この傾向が強まると、部下は委縮し、組織への愛着や所属意識が低下します。すると、人材育成が進まず、組織運営は硬直してしまいます。

 幕末期、まさにこの部類のトップとして反面教師にすべき人物がいました。強烈な個性とリーダーシップで藩政改革を断行した水戸藩主・徳川斉昭です。斉昭は、周囲の反対を押し切って開国を断行したあの井伊直弼と真っ向から対立した豪腕の持ち主であり、幕政においても存在感を発揮します。しかし、水戸藩がほかの雄藩にくらべて発言力や実行力を失い埋没するきっかけをつくった人物でもありました。

 

貧困にあえいでいた尊王攘夷の家元

 水戸藩は、尾張藩、紀州藩と並び、将軍家の次に格の高い「御三家」のひとつ。御三家とは、もし将軍本家で血筋が絶えた場合に、この三家から新しい将軍が立てられる制度です。幕藩体制の中で最高の家格を誇りました。

 そんな水戸藩の最大の特色が「水戸学」です。水戸学とは、水戸黄門でおなじみの2代藩主・徳川光圀が始めた歴史書『大日本史』編纂事業の過程で確立した、藩独自の学問のこと。「天皇の権威を背景にしながら幕府中心の国家体制を強化する」という水戸学の理念は、やがて天皇中心の政治体制を築き、外国船を追い払う「尊王攘夷」思想へと発展します。

 江戸時代後期、西欧列強のアジア進出が進み、ペリー来航以前にも外国船がしばしば日本近海に来航するようになります。そうした情勢に危機意識を抱きはじめた全国の志士が水戸に集まり、藤田東湖(ふじたとうこ)、会沢正志斎(あいざわせいしさい)といった教授から水戸学を学びました。長州藩の吉田松陰もそのひとりで、4か月の東北遊学の日程のうち1か月も水戸に滞在し、絶大な影響を受けました。

 もともと、水戸学の「尊王」は日本の歴史を重んじることに焦点が当てられており、反徳川のニュアンスはまったくありませんでした。しかし、水戸学を母体とする尊王攘夷は松陰らを介し、過激派の志士らを魅了しながら全国に広まり、徐々に反幕府的要素を帯びていきます。

 こうした状況下で、水戸学、そして尊王攘夷の旗振り役と見られていたのが徳川斉昭だったのです。

 

大事業で独断を通したことが藩の命取りに

 斉昭が藩主となった1829年当時、水戸藩は多くの藩と同様、財政窮乏の状態でした。

 斉昭は大胆な藩政改革を断行。水戸藩当主は江戸住まいが通常だったのですが、斉昭は… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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