真のリーダーシップは危機的状況で発揮される(第2回)

全隊員帰還と「全滅」、明暗を分けたリーダーの決断

2014.10.23 Thu連載バックナンバー

 人類史上初の南極点到達を目指した2人の探検家、アムンセンとスコット。前編では、アムンセンが徹底した調査と効率化と同時に、非情とも言える判断を下して南極点に到達するまでを述べた。

 後編では、装備や経験、知識で圧倒的有利と思われていたスコット隊に、何が起きたのかを見ていこう。

 

スコット隊の悲劇1 ~計画の齟齬~

 スコットは厳密に言えば探検家ではない。イギリスの海軍大佐であり、同行した隊員の多くも軍人だった。基地では軍隊的な規律が重んじられ、階級によって寝る場所まで区別された。何事もスコット自らが計画を立て、指揮を下すという、軍隊と同じ「上意下達」が原則であった。この点、コミュニケーションを重視し、隊員と一体感を持って臨んだ探検家のアムンセンとは対照的である。

 スコットが南極点到達に向けて出発したのは1911年11月1日。アムンセンが悪天候で引き返し、編成を変えて再出発した1911年10月19日より約2週間遅れた出発だった。
 スコットの計画は初期段階から齟齬を見せていた。

 第1の齟齬は、前編で紹介した雪上車である。寒冷地で試験を重ね、万全と思えた雪上車は、出発直後に2台とも故障が発生した。南極の厳寒と乾燥にエンジンが作動しなくなったのである。
 雪上車を放棄したスコット隊は、選抜された隊員16名、馬10頭、犬ゾリ2台の編成となった。雪上車が運ぶ予定だった食料や馬の餌のマグサは、馬ゾリと人力でひいた。

 第2の齟齬は、もうひとつの輸送手段である馬に生じた。雪上車を捨てたことで、負担が大きくなり、馬は寒さと疲労に耐えきれず、次々と死んでいった。1頭の馬が死ねば、残された馬の負担はさらに増える。その一方で、進行速度は遅くなり、行程日数だけが徒に増えていった。出発後1カ月余りの12月6日に、馬は5頭にまで減り、マグサも尽きてしまった。スコットは全ての馬を射殺した。

 輸送手段を失ったスコット隊は、雪上車と馬が輸送するはずのソリを人力でひいて進んだ。

 第3の齟齬は… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

結城 数馬

結城 数馬

フリーライター

歴史・文学からビジネス、スポーツ等、幅広い分野において執筆を行う。共著に『武田勝頼の滅亡は武田信玄の残したリソースを有効活用できなかったことに尽きる』『IT・ベンチャー企業の組織作りは豊臣政権崩壊に学べ』『新約 真田幸村』『信長のおばさん』等(全て、まんがびと刊)がある。

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter