真のリーダーシップは危機的状況で発揮される(第1回)

“南極点到達”の偉業を成し遂げたリーダーシップとは

2014.10.08 Wed連載バックナンバー

 リーダーたる者には、組織を正しい方向へと導き、目標を達成するための手腕、つまりリーダーシップが問われる。ビジネスの現場で求められるのはもちろんだが、生死を分けるような危機的な状況に陥って初めて、その良し悪しが現れるものかもしれない。

 今回は人類史上初の南極点到達を目指すという過酷な環境で見せた、2人のリーダーの行動から、リーダーシップとはいかなるものなのかを考えてみる。

 

南極基地に残る名前 ~二人の英雄を永遠に称える~

 南極点近くに建つ、アメリカの南極観測を目的とした基地は「アムンゼン・スコット基地」と呼ばれている。アムンゼン・スコットとは、今から約100年前の1911年に人類初めての南極点到達を争ったノルウェーの探検家「ロアール・アムンセン」(英語読みではロアルド・アムンゼン。本稿ではアムンセンと表記)と、イギリスの海軍大佐「ロバート・スコット」の2人に敬意を表して名付けられたものである。

 2人はともに南極点に到達したが、アムンセンの方が一足早く到達を成し遂げた上に隊員全員が無事帰還したのに対して、スコット隊の5名は帰路で猛吹雪のため全員が遭難死するという対照的な結末を迎えている。

 南極点到達という人類史上初めての経験の中で、2人の英雄がどのように考え、行動し、危機的状況を切り開こうとしたのか。2人の明暗を分けたものは何だったのだろうか。足跡を追ってみよう。

 

届けられた手紙 ~我、南極に向かわんとす~

 20世紀に入ると、世界の国々は人類未踏の地である北極と南極の観測調査に続々と参入した。同時に、各国の探検家たちは人類史上初めての極点到達という名誉を獲得することを目指していた。多くの探検家たちがまず目標としたのは北極点であり、その最有力と目されていたのがアムンセンだった。

 アムンセンは慎重に準備を進め、北極点踏破の栄誉を一身に浴びるはずだった。しかし、1910年、一足先にアメリカの探検家ピアリーが北極点に到達してしまう。アムンセンは失望するが、直ちに目標を南極点に切り換えてノルウェーのオスロ港を出発した。

 一方のスコットはイギリスの海軍大学を卒業後、王立地理学協会による南極探検計画を知り、1901年から04年にかけて行われた第1回の南極探検に志願して参加、南極点まで800kmの地点に迫っている。この際の調査結果は高い評価を受け、大佐に昇進した。

 1909年には自ら第2回南極探検の計画を発表し、翌10年6月、南極へ向かった。この時点で、スコット自身も英国民も人類初の南極点到達を達成するのはスコットであることを疑っていなかった。

 航海開始から4か月後の10月、オーストラリアのメルボルンに到着したスコットを待っていたのは、アムンセンか送られた手紙だった。

 「我、南極に向かわんとす」

 この短い電文にスコットは愕然とする。その時までアムンセンの目標は北極点であるとスコットは信じていた。探検家として既に名を知られていたアムンセンが南極に向かうということは、南極点到達を目指していることを意味しており、スコットに対する挑戦状とも受け取れるからである。… 続きを読む

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結城 数馬

結城 数馬

フリーライター

歴史・文学からビジネス、スポーツ等、幅広い分野において執筆を行う。共著に『武田勝頼の滅亡は武田信玄の残したリソースを有効活用できなかったことに尽きる』『IT・ベンチャー企業の組織作りは豊臣政権崩壊に学べ』『新約 真田幸村』『信長のおばさん』等(全て、まんがびと刊)がある。

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