偉人に学ぶ、時代を生き抜く企業経営術(第6回)

名将・武田信玄に学ぶ「攻撃は最大の防御なり」

2014.02.13 Thu連載バックナンバー

 野球やサッカーなどのスポーツにおいては、いくら守りを固めても味方が得点を上げなければ勝つことはできない。すなわち、攻める気持ちを強く持って戦う姿勢を見せなければ相手を打ち破ることはできないわけで、「攻撃は最大の防御なり」とも言える。これは現代の企業経営についても同様である。市場がどのような商品やサービスを求めているのか?顧客のニーズを探るためのマーケティングを行い、自社の優位性を極めていくことが必要である。まさに企業経営も攻撃が最大の防御と言っても過言ではない。

 

生産性が乏しいことから生じた危機感

名将の誉れ高い武田信玄公像。甲斐国の生産性の乏しさ
という弱みが信濃など隣国を支配するという領国経営の
拡大につながった。(山梨県甲府市・JR中央線甲府駅前)

 戦国時代、常に攻める気持ちを忘れず領地を拡大させていき、家臣や領民たちと一枚岩となって繁栄を築いた名将・武田信玄。信玄は21歳という若さで武田家の当主となったが、甲斐(現在の山梨県)という国は盆地が多く農耕地が少ないので、生産性に乏しい国だった。

 甲斐一国だけでは国の経営が成り立たないと考えた信玄は、隣国・信濃(現在の長野県)に目をつける。信濃には、父・信虎の時代から何度も侵攻を繰り返しており、信玄もこの政策を継続した。まずは諏訪(諏訪市)を切り取ることに成功する(余談だが、諏訪の領主・諏訪頼重の娘との間に生まれた男子が、信玄の跡継ぎとなる武田勝頼である)。その後、佐久や伊那を制圧し、信濃の南部一帯を押さえた。

 信玄の領国経営の特徴は、降伏して傘下に入ったならば、国人たちにそのまま統治させたことである。たとえ支配したとしても、譜代家臣に恩賞として与えることはしなかった。この点について信玄は、「どの地域にも昔からの特性があり、その特性を無視した支配を行うと必ず反乱が起こる」という考えをもっていたようだ。

 現代なら、会社経営において同じようなポリシーを持った人物として、日本電産の社長である永守重信氏が思い浮かぶ。M&Aで企業を買収しても、日本電産からは経営者を送り込まず、経営陣はそのままで社員は誰一人としてリストラしていない。社員たちに不安感をいっさい与えず、たとえ大きな赤字であっても必ず1年後には黒字化させて再生するなど、M&Aのプロ中のプロと言える。

 

二度苦杯をなめた難敵・村上義清を三度目の正直で打ち破る!

 さて話は戻るが、信玄は国人たちに権限委譲をしながらそのまま統治させるというやり方で信濃を支配下に治め、領国経営の安定と成長を考えた。最後に残った北信濃(長野県北部)は村上義清という豪族が支配しており、信玄はこの村上義清には二度苦杯をなめさせられた。… 続きを読む

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藤永 悟志

藤永 悟志

株式会社ストーリア 代表取締役 経営コンサルタント

1966年3月生まれ。2006年7月、経営コンサルティング会社である株式会社ストーリアを設立。中小企業経営者が頭を悩ます「企業経営」「相続」「経営承継」という三位一体のコンサルティングを行う経営コンサルタント。特に次世代への経営承継・M&Aを中心に経営全般をサポートしており、全国の商工会議所など経営者団体を中心に歴史を題材とした経営に関する講演活動も行っている。

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