偉人に学ぶ、時代を生き抜く企業経営術(第4回)

伊達政宗に見る、地域No.1であることの重要性

2014.01.31 Fri連載バックナンバー

 日本で一番高い山は?と聞かれたら、すべての人が「富士山」と答えるだろう。では、二番目に高い山は?と聞かれるとどうだろう。「さあ、わからない」と答えるのではないだろうか?

 そう、お気づきになられたと思う。ずばり、“人は一番しか覚えないものである”ということを理解しておく必要がある。よく、「地域一番店」という言葉を聞くが、その地域で一番になった店に人々は注目し集まるのである。言うなれば、これからの人口減少時代には地域一番店にならなければ生き残れない、と考えるべきである。これは人口の減少が著しい地方であれば、なおさら言えることだ。

 

秀吉を無視し奥州ナンバーワンの座に

右目を失いながら、独眼竜の異名で東北のナンバーワン武将
として名を馳せた伊達政宗公像。
(宮城県仙台市青葉区・仙台市博物館前)

 戦国時代において、弱冠24歳にして地域ナンバーワンになった武将がいる。伊達政宗である。政宗は5歳の時、疱瘡を患い右目を失いながらも、18歳で父・輝宗から伊達家の家督を継いだ。

 伊達家は40年にわたり、米沢(山形県米沢市)の地に根を張り存続してきた。周辺には山形の最上氏、大崎氏、葛西氏、相馬氏、岩城氏、畠山氏、会津の蘆名氏、常陸の佐竹氏などの勢力が領土拡大を虎視眈々と狙っており、群雄割拠の状況にあった。当時、豊臣秀吉が関白となって政治を司り、大名同士の戦いを禁じた惣無事令を発令したばかりだった。

 だが、政宗は秀吉を無視し攻撃の手を緩めなかった。諸大名たちを次々と破り、1589年(天正17年)摺上原の戦いにて、蘆名氏と常陸・佐竹氏連合軍との奥州王座決定戦を迎えた。この戦いで蘆名氏は、会津から佐竹氏の本拠である常陸に逃亡。ここに蘆名氏は滅亡し、政宗は奥州における“地域ナンバーワン”になった。… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

藤永 悟志

藤永 悟志

株式会社ストーリア 代表取締役 経営コンサルタント

1966年3月生まれ。2006年7月、経営コンサルティング会社である株式会社ストーリアを設立。中小企業経営者が頭を悩ます「企業経営」「相続」「経営承継」という三位一体のコンサルティングを行う経営コンサルタント。特に次世代への経営承継・M&Aを中心に経営全般をサポートしており、全国の商工会議所など経営者団体を中心に歴史を題材とした経営に関する講演活動も行っている。

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter