朝ドラのヒロインに学ぶ(第1回)

吉本せいはお笑いの仕事を“嫌々”やっていた

2017.11.08 Wed連載バックナンバー

 テレビのバラエティ番組は、お笑い芸人の存在なしに成りたたない。テレビ局や劇場の通用口には、芸人を出待ちするファンであふれている。“お笑い”を商う人々は、芸能界において俳優やミュージシャンと並び立つ存在として認知されている。

 NHKの朝の連続テレビ小説『わろてんか』のヒロインのモデルである吉本せいが、この世界に入った明治時代末期には、こんな状況は想像もできなかったことだろう。吉本興業の礎を築いたこの女興行師は、好んでこの仕事を始めたわけではなかった。むしろ、嫌々といった感が強い。

 そんな彼女が、なぜ吉本興業を興すことになったのか。その半生を紐解いていく。

 

グータラ亭主の「やる気」に賭けた

 明治45年(1912)、大阪・天満の寄席「第二文藝館」を買収して経営に着手したことが、彼女のサクセスストリーの始まりである。当時のメインカルチャーである歌舞伎や新派の演劇に対して、寄席の主役である落語はサブカルチャー。現代でいえば、大作映画とVシネマほどの違いがある。

 ましてや第二文藝館は場末の寄席。出演を承諾してくれるのは、三流どころの落語家ばかりだ。それだけでは数が足りず、萬歳(漫才の原型)や奇術などの色物芸で番組を編成するしかなかった。

 当時、寄席に入る客は男性が大半。女性は旦那衆に連れられて来る芸者くらいなもの。怪しいイメージが多分にあり、良家の子女は近づくことも疎まれた。せいは米穀商の娘に生まれた。商家の女中奉公で花嫁修業をして、荒物問屋の跡取り息子・吉本泰三に嫁いでいる。怪しい興行界との接点を持つことはない。他の普通の女性と同様、寄席は縁遠い場所だった。

 そんな彼女がいきなり寄席の経営者になる。たとえて言うならごく普通の専業主婦が、ある日突然風俗店の店長を任された感じだろうか。普通は尻込みする。しかし、彼女には引くに引けない事情があった。… 続きを読む

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青山 誠

青山 誠

大阪芸術大学卒業。『坂野惇子 子ども服にこめた「愛」と「希望」』(KADOKAWA)、『戦術の日本史』(宝島SUGOI文庫)、『江戸三〇〇藩 城下町をゆく』(双葉新書)などの著書がある。また、アジア経済の情報誌「BizAiA!」で『カフェから見るアジア』、日本犬雑誌『Shi-ba』での実猟記などを連載中。
(編集:株式会社ネクストアド)

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