日本史、伝説を生んだカリスマの魅力(第1回)

聖徳太子:教科書から消えつつあるカリスマの偉業

2017.05.29 Mon連載バックナンバー

 歴史上の人物のなかには、本当に存在していたのか疑わしく、謎に満ちた生涯を送った者が少なくない。しかし、存在がはっきりしないにも関わらず、現在まで語り継がれるというのは、その人物に相当な魅力がなければできないことである。

 この連載では、実在すら疑われる一方で、今もなお人々に愛される、歴史上のカリスマたちの実像に迫る。

 第1回目では、聖徳太子を紹介する。

 

日本史上指折りの偉人が「カッコ書き」にされた理由

 「聖徳太子」を知らない人はほとんどいないだろう。学校教育の歴史授業のなかで、真っ先に出てくる偉人の名前のひとりであるからだ。また、昭和を生きた人であれば、お札に印刷された聖徳太子の肖像画を目にしたことは何度もあるはず。聖徳太子の肖像は、昭和5年の百円札に始まって、昭和61年に一万円札が支払い停止となるまで、実に7回も紙幣の図版として採用されている。

 聖徳太子にまつわるエピソードも数多い。「10人の話を一度に聞き分ける」という、ほとんど伝説のような逸話のほか、聖徳太子のなした「憲法十七条」や「冠位十二階」、「遣隋使の派遣」といった偉業を一度は聞いたことがある人も多いだろう。

 ところがここ最近、「聖徳太子はいなかった」とする衝撃的な説が世間を騒がせている。

 実は「聖徳太子」という名は、彼の存命時には存在しなかった。「聖徳太子」とは、亡くなった後に後世の人々が彼を称えて贈ったもの。彼の生前の名は「厩戸王(うまやどのおう)」あるいは「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」という。

 名前だけではない。聖徳太子の事績の多くは、日本最古の歴史書『日本書紀』に記されているが、この『日本書紀』が必ずしも歴史的事実を記載しているわけではないことが判明している。また、数々の偉業も一人の人物の功績とは考えにくく、複数人の業績が「聖徳太子」に集約されていると考えられている。

 つまり、厩戸王が実在したことは確かだが、聖徳太子の人物像は、後世の人の創造が入り交じっているということだ。そのため、現在使用されている教科書では「厩戸王(聖徳太子)」とカッコ書きで表記されることが一般的だ。

 厩戸王は、31代・用明天皇の皇子であり、若くして推古天皇の摂政となった政治家である。確実に関わっていた証拠はないものの、「冠位十二階」や「憲法十七条」の制定は、厩戸王が摂政として活動していた時期と一致しており、程度の差はあれ関与していたと考えられる。

 そんな存在があやふやな「聖徳太子」の名が、なぜ現在まで伝わっているのか? それは、日本の道徳観に、聖徳太子が深く関わっているからである。

 

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小野 雅彦

小野 雅彦

フリーライター

歴史時代作家クラブ会員。雑誌やムックなど、戦国時代や幕末などの日本史にまつわる記事を中心に執筆。地方に埋もれた歴史や人、事件などについて取材を続けるほか、東日本大震災以降は原発関連の記事なども手掛けている。著書に『なぜ家康の家臣団は最強組織になったのか 徳川幕府に学ぶ絶対勝てる組織論』(竹書房新書)がある。秋田県秋田市出身。

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