旅する「真田丸」~真田一族の聖地巡礼(第9回)

大坂冬の陣/かすかに残る「真田丸」の遺構を巡る

2016.10.31 Mon連載バックナンバー

 大河ドラマ『真田丸』の放映も、残り2か月となった。タイトルの「真田丸」とは、大坂冬の陣において、真田幸村(信繁)が徳川軍を迎え撃つために築いた砦の名称である。緒戦で豊臣方が敗退して以来、にらみ合いが続いていた大坂冬の陣の中で、唯一徳川軍を打ち破り、一矢報いた戦いが行われたのが真田丸であった。

 その真田丸での決戦が、いよいよ迫ってきている。10月23日放映の第42回「味方」では、信繁から改名した真田幸村をはじめ、後藤又兵衛・毛利勝永・長宗我部盛親・明石全登のいわゆる「大坂城五人衆」が勢揃いした。第43回「軍議」では、大坂城から討って出るべきという幸村の積極策が退けられ、真田丸築城を決意する姿が描かれている。

 徳川家康は関ヶ原の戦いに勝利して江戸幕府を開いたが、それだけで盤石な政権を確立できたわけではなかった。大坂城にいる豊臣秀頼淀殿が、秀吉が遺した莫大な金銀財宝を背景に、諸大名に隠然たる影響力を持っていたからだ。高齢の家康にとっては、豊臣家が滅びるのが先か、自分の命が尽きるのが先か、時間との戦いだった。それでもあせらず、江戸幕府が機能しはじめ、秀吉の恩顧大名である加藤清正らが死ぬ(ドラマ内では暗殺)のを待ち、家康は戦国時代最後の戦いを仕掛けたのである。

 

大坂の陣勃発のきっかけとなった名鐘【方広寺・豊国神社】

 大阪冬の陣の舞台を巡る前に、この合戦の経緯を知るために京都に立ち寄りたい。

 家康が豊臣家を武力討伐する口実としたのが、有名な「方広寺鐘銘事件」だ。秀吉にゆかりの深い方広寺の再建を秀頼が行ったのだが、新たに造られた鐘に「国家安康」「君臣豊楽」と刻まれていた。家康はこの銘の意味を、「家康の名を引き裂き、豊臣家を君主として讃える」と読み解き、豊臣家の叛意を示していると断罪したのである。

 この「国家安康」の梵鐘は、東大寺知恩寺の鐘とあわせて「日本三大名鐘」として現在に伝えられている。方広寺はかつて、東大寺の大仏を上回る大きさの大仏が鎮座し、大伽藍を誇った。明治以降、境内の大部分が接収され、大火事にも見舞われるなど不遇な歴史を歩んだが、梵鐘だけは歴史の証人となるべく、奇跡的に残ったのである。鐘楼の見事な天井画が、往時の繁栄をかすかに伝えている。

 その方広寺に接して、秀吉を祭神に祀る豊国神社がある。家康がその死後、日光東照宮に祀られたのと同様に、秀吉は死後に「豊国大明神」の神号を与えられ、豊国神社が創建された。ちなみに、秀吉は生前に、武士の守り神である「八幡」を継ぐという意味で「新八幡」の神号を望んだが、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

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歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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