旅する「真田丸」~真田一族の聖地巡礼(第8回)

九度山/真田父子が雌伏の時を過ごした山里

2016.09.29 Thu連載バックナンバー

 大河ドラマ『真田丸』は、クライマックスとなる大坂の陣に向けて、いよいよ佳境を迎えつつある。9月25日に放映された第38回「昌幸」では、九度山(くどやま)に幽閉となった真田昌幸幸村(信繁)父子と家族らのささやかな生活ぶりが描かれた。昌幸は故郷・信濃への帰還を願うが、家康から許しがでないまま10余年をいたずらに過ごし、自らの遺言として、いずれ来る徳川家VS豊臣家の“秘策”を幸村に伝えた。

 昌幸と幸村の配流先となった九度山は、高野山の麓にあり、現在の和歌山県伊都郡九度山町にあたる。当初は真田家が寄進し庇護していた高野山の蓮華定院(れんげじょういん)を頼ったが、高野山は不便だった上に女人禁制だったため、家族連れであった彼らは九度山に居を定めたとされる。当時、昌幸54歳で、幸村は30代前半。数年で赦免されると信じており、まさか昌幸はこの地で死を迎え、幸村は大坂城入城を果たすまでの14年間を暮らすとは思ってもいなかっただろう。

 九度山は今も物静かな小さな町だが、現在はドラマ効果で、例年にないほど観光客でにぎわっている。昌幸が波瀾の生涯を閉じ、幸村が雌伏の時を過ごした九度山と高野山を訪ねてみよう。

 

昌幸が眠る真田一家の住居跡【真田庵】

 高野山の玄関口にあたる九度山へは、南海高野線を利用する。始発となる大阪の難波駅からは約1時間程度の距離だ。現在は幸村が大坂の陣で率いた赤備え部隊の色に塗られ、家紋を列車内外にあしらった「真田赤備え列車(PDF)」が運行中。真田家を辿る旅の気分を盛り上げてくれる。

 九度山で真田一家が住んだとされる地に建つのが、現在の善名称院(ぜんみょうしょういん)である。幸村が九度山を去ってから約130年後にこの場所を訪れた大安上人が、本尊のお告げを受けて創建し、森の中で荒廃していた昌幸の墓(宝篋印塔[ほうきょういんとう、供養塔の一種])を移したとされる。善名称院は現在… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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