旅する「真田丸」~真田一族の聖地巡礼(第7回)

関ヶ原と長浜/義に散った石田三成の無念の地を巡る

2016.08.30 Tue連載バックナンバー

 石田三成というと、ひと昔前では性格の悪い、悪役イメージで語られることが多かった。融通のきかない性格ゆえに、同じ豊臣恩顧の大名である細川忠興や加藤清正福島正則らから嫌われ、徳川家康と対立した結果みじめに散った時代の敗者――そこまで悪く言わずとも、決して歴史好きから好かれる武将ではなかった。

 それが近年では、女性を中心に高い人気を見せている。人気を読み解くキーワードは「義」。三成は自分を取り立ててくれた豊臣秀吉に厚い恩義を感じ、ただひたすら豊臣家を守るために行動した。ただし、いささかコミュニケーション下手であっただけに、三成の一途な思いは清正ら同僚に伝わらないどころか、豊臣家への忠義を訴えるほどに摩擦を強め、それでも豊臣家を守りたい一心で家康に対抗し、破滅への道を歩んだ……という受け取り方だ。党利党略(所属する集団が利益を得るための策略)よりも忠義を重んじ、政治的に振る舞うよりも自分の信念を貫く姿に、現在の女性は惹かれるようだ。

 大河ドラマ『真田丸』で山本耕史が演じる三成は、まさに上記のイメージで描かれている。現在ドラマでは、秀吉が死に風雲急を告げる中で、多くの大名が家康に籠絡され(いいように丸め込まれ)、三成に同調するものは大谷吉継真田信繁(幸村)などわずかな者しかいない。豊臣家への忠義をまっすぐに訴え、そのまっすぐさゆえに孤立していく三成の姿は、見ていてもどかしく、また哀れになるほどだ。

 今回はそんな三成の運命の地である関ヶ原古戦場と、彼の生涯を見守った長浜の地を歩きたい。

 

関ヶ原古戦場を一望できる三成陣跡

 天下簒奪をたくらむ家康と、それを阻止せんと立ち上がった三成の最終決戦が行われたのは1600(慶長5)年9月15日、現・岐阜県関ヶ原町の地だった。戦国時代最大の合戦が行われた関ヶ原古戦場は多くの歴史ファンが訪れる聖地であり、観光スポットになっている。

 当初、三成が指揮する西軍は大垣城(岐阜県大垣市)を拠点としていた。しかし、家康率いる東軍が大垣城を素通りして大坂方面へ向かう構えを見せると、西軍は夜半に移動して関ヶ原に陣取る。このとき三成が本陣としたのが笹尾山である。陣跡には馬防柵が再現され、三成が掲げた「大一大万大吉」の旗印がはためいている。山というよりは小高い丘陵であるここからは、関ヶ原全体を見渡すことができ、三成は天下分け目の戦いをこの場所から見届けた。三成はどんな思いで戦場を見つめていたのか、三成が見た同じ光景を眺めながら感じてみたい。

 午前8時頃に火蓋が切られた関ヶ原の戦いは当初、一進一退の激戦が繰り広げられた。東軍のほうが数で勝ったが、三成の指揮の下、西軍は士気が高く、頑強に抵抗したからだ。合戦の推移を決めたのは、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

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歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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