旅する「真田丸」~真田一族の聖地巡礼(第4回)

沼田/真田家の正と負の遺産が眠る「東国の火薬庫」

2016.05.27 Fri連載バックナンバー

 大河ドラマ『真田丸』では、第一次上田合戦が真田家の勝利で終わったのち、「大坂編」がスタートした。豊臣秀吉のもとでそのお世話をする馬廻り衆となり、茶々石田三成らとの関係を深めていく信繁(幸村)。一方で、父・昌幸は秀吉に臣従しながら、沼田領(現在の群馬県沼田市)をめぐって確執も生じている。

 上州(群馬県)の北東側に位置する沼田は、戦国時代を通じて紛争地であった。関東・越後(新潟県)・信濃(長野県)を結ぶ交通の要衝だったためだ。北条家と上杉家が奪い合ったのち、武田勝頼に命じられた昌幸が沼田城を攻略しており、武田家滅亡後はこの地の支配を真田家が継いだ。しかし、北条家は一貫して沼田の割譲を主張し続け、家康や秀吉も巻き込む大問題へと発展。沼田領をめぐるこの争いが、やがて秀吉の小田原攻めと北条家滅亡のトリガーとなった。沼田の地が、「東国の火薬庫」と呼ばれるゆえんである。

 北条家滅亡後、正式に真田領と認められると、昌幸が上田を、嫡男の信之(信幸)が沼田を治める二元体制がしばらく続いた。信之は江戸時代初期まで沼田を居城としたため、この地には彼にゆかりの史跡やエピソードが多い。現在、沼田市が「もうひとつの真田の舞台」というキャッチコピーを掲げているのは、こうした歴史が加味されているのである。

 

五重の天守がそびえた信之の居城【沼田城ほか】

 真田家の沼田支配の中心地となったのが沼田城である。利根川と薄根川が交わる丘陵上に位置していた城跡は、現在は沼田公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれている。桜の名所でもあり、春には多くの観光客で賑わう。

 上杉・北条・武田が争っていた当時の沼田城は、規模の小さな砦程度の城だったとされる。それを、真田の居城にふさわしい立派な城郭に改修したのが真田信之だった。信之は城を大幅に拡張し、石垣を築き、天守を建造した。上州の地にそびえ立った五重とされる天守は、関東では江戸城天守に次ぐ巨大さを誇ったとされる。

 残念ながら、現在ではその天守をはじめ建物はすべて破棄されてしまい、真田城主時代の城は“痕跡”程度にしか残っていない。とはいえ、わずかに残された城跡を見つけ歩くのも、城の楽しみ方のひとつだろう。本丸跡の西櫓台の石垣は発掘調査によって見つかった遺構で、ここからは鬼瓦や陶磁器の破片などが発見された。また公園内にある小さな池は、かつて本丸と二の丸の間に設けられていた水堀跡で、古いタイプの積み方で石垣が築かれている。どちらも真田城主時代とされる貴重な遺構だ。

 

才色兼備の妻・小松姫が眠る古刹【正覚寺・天桂寺など】

 初代沼田藩主としてその発展に尽くした信之だが、その影には妻・小松姫の献身があった。… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter