合戦の真実 ~何が勝敗を分けたのか?(第5回)

長篠の戦い/鉄砲を巧みに利用した信長の新戦術

2015.07.30 Thu連載バックナンバー

 学習マンガやドラマなどで長篠の戦いを見たことがある人は、次のようなシーンを思い浮かべるのではないだろうか。

 横一列になった武田騎馬軍団が、敵軍めがけて猛スピードで突撃していく。馬防柵の内側で待ち受ける織田・徳川連合軍は、火縄銃の射程距離に敵が入るギリギリまで待ち受け、侍大将の号令一下、一斉射撃する。次々と倒れる騎馬武者たち。屍を乗り越えて騎馬軍団は馬防柵に襲いかかるも、織田・徳川連合軍は3段撃ちによって間断なく一斉射撃を続け、騎馬隊はなすすべなく壊滅に追い込まれる——。

 長篠の戦いの代名詞にもなっている「3段撃ち」だが、近年では3段撃ちは史実ではないと実証的に否定されている。3段撃ちとは、討った射手はすぐに後ろに回り玉込めの準備をするというサイクルで、3,000挺の鉄砲を1,000挺ずつ交代で射撃するという方法。これまで、信長の新戦法とされてきた。

 しかし、玉込めにかかる時間は人によって差があり、タイミングを合わせるのはほぼ不可能なこと、一斉射撃で効果があるのは敵も横長に展開して向かってきた場合であり、現実の戦闘ではあり得ないこと、そもそも3千挺もの鉄砲が用意されていないことなどから、現在では3段撃ちを史実だったとする論者はほぼいない。

 ただし、3段撃ちが否定されたとはいえ、長篠の戦いが戦国時代の画期となった戦いであることにかわりはない。織田信長はさまざまな戦術を駆使してライバルの武田家を大敗させ、名実ともに戦国第一の覇者にのし上がったのである。織田・徳川連合軍の勝利のポイントはどこにあったのだろうか。

 

信玄死後も拡大を続ける武田軍

 長篠の戦いは、正式には「長篠・設楽原(したらがはら)の戦い」と呼ぶのが正しい。決戦地は古い地名で「志多羅の郷」や「あるみ原」、現在では設楽原と呼ばれる土地であった。

 「長篠」は、その前哨戦があった長篠城(愛知県新城市)を指すもので、長篠の地で決戦が行われたわけではない。なぜ長篠城をめぐる戦いだったのに決戦地が設楽原になったのか、そこにもこの合戦の勝敗を決めたポイントが隠されているのだが、その前に合戦の前段階を振り返っておこう。

 1573(元亀4)年4月、甲斐の虎と恐れられた武田信玄が、西上作戦の途上で死去する。戦国最強ともいわれた巨星の死、しかしその死がたちまち武田家の危機を招いたわけではない。

 跡を継いだ息子の武田勝頼は領土拡大路線をとった。じつは信玄の時代よりも勝頼の代のほうが版図を広げていたというと、意外に思われる読者も多いだろう。少なくともその領土や合戦の巧みさを見る限りでは、勝頼は軍神信玄の跡目をきちんと継いでいたのである。

 拡張路線を続ける武田家は、信玄の死から2年後の1575(天正3)年に三河(愛知県東部)への侵攻を開始。徳川家に奪われていた長篠城を奪還すべく、1万5千の兵で城を包囲したのである。長篠城は奥三河の山岳地帯に築かれた城で、三河・遠江(静岡県西部)・信濃(長野県)を結ぶ交通の要衝であった。

 籠城兵はわずか500余り。当然、すぐさま主君の徳川家康に援軍が要請され、家康は信長に救援を求めた。

 武田軍の包囲網をくぐり抜け、長篠城から家康のもとに伝令した決死隊のひとりに、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)がいる。彼は長篠城から家康のいる岡崎城まで走り抜けて城内の状況を伝え、すでに到着していた信長とも面会した。

 絶望的な籠城戦にあって、援軍ほど喜ばしいことはない。強右衛門はすぐさま織田軍救援の報を伝えるべく長篠に戻ったが、途中で武田軍に捕縛されてしまった。籠城兵が見える位置で磔(はりつけ)になり、援軍は来ないと言えとニセの情報を強要される強右衛門。しかし彼は「あと数日で援軍が到着する」と叫び、武田方の手で殺されてしまう。その情景を描いた旗指物が現存しており、強右衛門は忠義の士として後世まで讃えられた。

 

なぜ武田勝頼は進軍したのか

 鳥居強右衛門が磔にされ斬殺されたのが5月16日。同日、織田・徳川連合軍は岡崎城を出発し、18日には設楽原の極楽寺山に本陣を敷いた。

 設楽原は長篠城の西方、およそ5kmの地である。なぜ、信長・家康は直接長篠城に向かい、武田軍を叩かなかったのか。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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