合戦の真実 ~何が勝敗を分けたのか?(第4回)

山崎の戦い/なぜ戦う?“大義”の有無が勝敗を分ける

2015.06.29 Mon連載バックナンバー

 京都府大山崎町--ウィスキー好きであれば真っ先にサントリー「山崎」の醸造所を思い浮かべるだろうこの地は、大阪府と京都府の府境に位置し、古代から交通の要衝と知られてきた。桂川、宇治川、木津川の3河川が合流する場所で(合流して淀川となる)、天王山の麓の狭い平野部を街道が走り、商業都市が発展した。現在も旧街道のそばを、東海道新幹線、JR東海道線や阪急京都線、名神高速や国道が藁を束ねたように密集して通過している。

 交通の要衝として「京の玄関口」の役割を果たしてきた山崎は、政治や紛争と密接に関わり続けてきた。古代にはこの地のすぐそばに長岡京がつくられ、また672年、壬申の乱の決戦に敗れた大友皇子が逃げ込み、自刃したのも山崎である。幕末には前回取り上げた鳥羽・伏見の戦いにおいて、後退を続ける幕府軍が山崎とその対岸の橋本を最後の防衛ラインにしようとした。

  戦国時代、京都・本能寺で討たれた織田信長のかたきを取るため、中国地方からとって返した羽柴秀吉と、その入京を阻止したい明智光秀が山崎の地で激突したのは、ある意味歴史の必然といえるだろう。両軍が奪い合ったとされる「天王山」は、今では雌雄を決する大一番の勝負を指す言葉として広く使われている。この戦いに勝利した秀吉は、弔い合戦を果たした実力者として織田家の中で確固たる地位を築き、信長を継ぎ天下人の道を歩むことになる。秀吉の覇道において、山崎の戦いはまさに「天王山」であった。

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 わずか1日で決着した山崎の戦いの最大の勝因(光秀からすれば敗因)は、兵力差にあったとされる。明智軍1〜1万5千に対して、羽柴軍は3〜4万程度。兵数に異説はあるが、2〜3倍程度の兵力差があったのは確かで、戦術・作戦で挽回できるものではなかった。

 つまり、山崎の戦いは合戦がはじまる以前にすでに決着がついていたという言い方もできる。それではなぜ、これほどの兵力差ができてしまったのか。古今東西、戦いには「大義」が必要とされる。山崎の戦いの勝敗は、光秀と秀吉、それぞれが合戦に向けて掲げた「大義」の差の帰結でもあった。

 

光秀になびかなかった信長家臣たち

 1582(天正10)年6月2日早暁、明智光秀は本能寺を急襲し、主君である織田信長を滅した。天下統一に王手をかけていた覇王のあえない最期であった。

 ここでは、本能寺の変の理由・背景には立ち入らない。日本史上最大のミステリーを検証するには、さすがに紙幅が足りないからだ。秀吉黒幕説など諸説あるものの、本稿では、光秀単独説を採用したい。本能寺の変直前に長宗我部元親が光秀の重臣・斎藤利三に送った書状が2014年に発見され、長宗我部家の外交をとりもっていた光秀と四国攻めを準備していた信長とに確執があったこと、当時織田家の中で光秀の立場が悪くなっていたことに、現在注目が集まっている。

 本能寺の変から山崎の戦い直前までの、光秀の足取りを追ってみよう。

 信長を討った光秀は2日午後に居城の坂本城(滋賀県大津市)に戻り、諸将に向けて誘降・協力依頼の書状を送っている。5日には安土城を占拠し、さらに秀吉の長浜城(滋賀県長浜市)や、丹羽長秀の佐和山城(滋賀県彦根市)を接収した。織田家の本拠を押さえるとともに、北陸を治める柴田勝家の南下にまずは備えたのだ。

 近江を押さえた光秀は8日、一転して京へ向かう。この日、出陣先の高松城(岡山県岡山市)から引き返した秀吉は姫路城(兵庫県姫路市)に入城していた。ただし、その情報を光秀がつかんでいたかどうかは定かではない。

 9日、上洛した光秀は天皇や親王、公家衆や京都五山に献金を行う。武家権力の中心が信長から自分に移譲したことを認めさせる朝廷工作である。朝廷は光秀の献上を賞し、その権威を公的に認めた。

 おそらく当初の予定通りに、近江制圧と朝廷工作を進めた光秀であったが、大きな誤算もあった。織田家諸将が自分になびかなったのである。自らの組下大名(与力)であり、親戚関係にあった細川藤孝忠興父子は剃髪して様子見を決め込んだ。同じく組下大名である筒井順慶は密かに秀吉と通じ、洞ヶ峠(ほらがとうげ、京都府八幡市と大阪府枚方市の境の峠)で合流しようという光秀の要請を無視した。

 細川父子や筒井順慶の(光秀側から見ると)裏切りがよくクローズアップされるが、光秀に味方しなかった武将は多い。たとえば… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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