伝説の日本刀~知られざる名刀ヒストリー(第8回)

豊臣秀吉も愛したかけがえのない名刀「一期一振」

2015.07.29 Wed連載バックナンバー

 日本刀の鍛刀技術は、1000年以上もの間、あまたの刀工たちによって受け継がれてきた。戦いのための武器である日本刀を芸術の域にまで高めたのは、真摯に刀と向き合い続けた刀工たちに他ならない。刀工の一族は日本全土に点在し、三条派、青江(あおえ)派、長船(おさふね)派など、刀工集団として刀剣の制作にあたった。しかし、誰もが歴史に名を残すような名工になれるわけではない。

 そうした厳しい刀匠の世界に、「天下三作」と呼ばれ、その腕を今なお賞賛される名工たちがいる。鎌倉時代末期に相模(現在の神奈川県)で活躍した正宗、その正宗を師としたともいわれる郷義弘(ごうよしひろ)、そして今回登場する名刀「一期一振(いちごひとふり)」の生みの親となった京の刀工・粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)である。

 

吉光が手がけた生涯で唯一の太刀

ichi01 「天下三作」が生まれた背景には、誰であろう、無類の名刀コレクターだった天下人・豊臣秀吉の存在がある。古今東西、さまざまな地域の名刀を集めていた秀吉は、なかでもこの正宗、義弘、吉光の3人の刀工たちが打った刀を愛した。彼らの刀は、秀吉が愛でる以前からあらゆる階級の人々に好まれたが、とりわけ秀吉が気に入ったことで「天下三作」として呼ばれるようになったのだ。

 秀吉の側近であり、刀の管理を任されていた本阿弥光徳(ほんあみこうとく)の残した資料には、短命のため作品数の少ない義弘をのぞき、正宗と吉光だけで少なく見積もっても十数振り以上保持していたという記載がある。戦国大名であれば喉から手が出るほど欲しい名刀ばかりだった。

 そのなかでも特に秀吉が気に入り、名刀中の名刀しか入れないという一之箱(いちのはこ)に納められた太刀がある。粟田口吉光の一期一振だ。

 少々変わった名前だが、その由来は吉光の作風にある。

 吉光は鎌倉時代中期に京で活躍した名工だった。一説によると、30歳を過ぎてから粟田口派の国吉(くによし)に入門し、刀工の技術を学んだという。通称を藤四郎(とうしろう)といい、厚藤四郎(あつとうしろう)や後藤藤四郎(ごとうとうしろう)など、現在でも国宝や重要文化財に指定される名刀を多く制作している。そして彼の最大の特徴は、短刀や脇差など、刃長の短い刀剣を得意としていたことにある。

 なぜ吉光が短刀にこだわったのか、その理由ははっきりとはしていないが、一説には片腕が不自由だったため、大ぶりの刀の制作が困難だったのではないかとも言われる。

 その吉光が、生涯で唯一制作としたといわれる太刀が、この一期一振なのだ。生涯で一度きりでの太刀という意味で「一期」「一振」。その他、吉光は数本の太刀を打ったともいわれるが、太刀の傑作はこの一期一振に他ならないとして、この名がついたともいわれる。いずれにせよ、吉光にとって特別な一本に変わりはなかった。

 

秀吉の手によって磨り上げられた名刀… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter