伝説の日本刀~知られざる名刀ヒストリー(第7回)

蛍のような光を放つ幻想的な一振り「蛍丸」

2015.07.13 Mon連載バックナンバー

 日本の歴史上、幾度となく行われてきた「刀狩」。為政者にとって、一般市民の武装をどの程度許可するかは重要な項目だった。このうち、大々的な「刀狩」が行われたのは二度。一度目は教科書でもお馴染み、豊臣秀吉による「太閤刀狩」。二度目は第二次世界大戦終結後、連合国軍最高司令官総司令部、いわゆるGHQが行った「刀狩」である。

 特にGHQの刀狩は大きな混乱を呼んだ。接収された日本刀は軍事的に使用された刀剣のみならず、一般市民が所有していた刀剣にも及び、一説にはその数300万本。この時、多くの刀が行方知れずとなった。今回登場する「蛍丸」も、そんな戦後の混乱期に失われた幻想的な逸話を持つ一振りである。

 

蛍のように光り、その傷を治す

 「蛍」という美しい名がついた蛍丸。その由来は南北朝時代にさかのぼる。

 南北朝時代とは鎌倉時代滅亡後、朝廷が奈良・吉野の「南朝」、京都の「北朝」というふたつに分裂していた延元元(1336)年~元中9(1392)年までの約60年ことを言う。時代劇などでも描かれることの少ない時代だが、天皇もふたり、元号もふたつ存在するという複雑な時代だった。この時代の蛍丸の主は、肥後(熊本県)の阿蘇惟澄(あそこれずみ)という南朝方の武将だ。

 延元元(1336)年、北朝方の初代室町幕府将軍・足利尊氏は、南朝方の軍勢と各地で衝突。いったんは京に登ったものの、大敗を喫し九州まで敗走した。敵将の上陸を知った惟澄は、名工・来国俊(らいくにとし)の打った大太刀を持って出陣。筑前(福岡県西部)の多々良浜(たたらはま)で尊氏を迎え討った。

 しかし、再起を誓う尊氏の猛攻はすさまじく、惟澄の義理の兄弟であり阿蘇家の当主・惟直(これなお)、その弟・惟成(これなり)が戦死するという事態に陥る。惟澄は激戦をくぐりぬけ阿蘇の居館までたどり着くも、手にしていた大太刀は刃こぼれだらけ……。がっくりとうなだれ、満身創痍のまま眠りについた。

 するとその晩、惟澄は不思議な夢を見る。大太刀の欠けた刃が、蛍のように淡い光を放ちながら大太刀に集まって行くのだ。傷だらけの大太刀は不思議な光に包まれた。

 はっと目を覚ました惟澄は先刻見た夢をいぶかしがり、大太刀を鞘から抜くと、ボロボロに欠けていた刃が元に戻り美しく輝いている。

 惟澄はこの出来事を驚き、以降この大太刀を「蛍丸」と呼ぶようになった。こうしてこの不思議な太太刀は代々、阿蘇家に伝来したといわれる。

 

幻想的な名称にそぐわない豪刀

 阿蘇惟澄が所有していたという説の他にも、蛍丸には次のような逸話も残っている。

 現在の宮崎県・高千穂(たかちほ)を治める三田井家が所有していたが、ある時三田井家の城が落城してしまう。生き残った武士が蛍丸を佩(は)き、幼い姫を連れて城から逃げ出した。暗い山道を進むも、すぐ近くに追っ手が迫る。ふたりは茂みに隠れ、やり過ごすことにした。

 しかし、今回は惟澄の時のように、欠けた刃が直ったわけではない。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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