伝説の日本刀~知られざる名刀ヒストリー(第3回)

巌流島に散った剣豪・佐々木小次郎の「物干し竿」

2015.05.13 Wed連載バックナンバー

 剣道や居合道の真剣を使った演武をご覧になったことはあるだろうか。大人の太ももほどある巻き藁(わら)や畳を、いとも簡単に斬り落とす姿は見事であると同時に、刀本来の切れ味にハッとさせられる。

 現在、美術的な価値を見出されている日本刀が、“斬る”という行為のために抜刀される機会は少ない。だが、刀は戦いの道具として発展した兵器であり、刀を握る男たちは名刀の主として恥じないよう、剣の腕を磨いていくのである。そして、剣の道を究めた剣豪たちは、時に互いの誇りをかけて斬り合いを演じた。

 

謎多き剣士・佐々木小次郎とその愛刀

 今回登場する刀の持ち主は、江戸初期に活躍した剣豪・宮本武蔵のライバルとして名高い佐々木小次郎である。武蔵と小次郎は、まさに己の極めた剣の道のため、慶長17(1612)年に現在の山口県下関市、巌流島にて死闘を演じた。ふたりの決闘は、江戸時代から現代にいたるまで、多くのメディアによって活字や映像にされ、「巌流島の戦い」として多くの人々に知られる。

 吉川英治氏の代表作『宮本武蔵』では、まだ前髪の残る18歳の美青年として描かれ、小次郎にこのイメージを抱く人も多いだろう。近年では、同作を元に漫画家・井上雄彦氏が宮本武蔵の生涯を描いた『バガボンド』でも登場。吉川氏が築いた従来の小次郎像を踏襲した上で、聾唖(ろうあ)の青年として描かれ話題となった。

 聾唖という設定はもちろんフィクションだが、実際の小次郎の出生や年齢は謎に包まれている。細川家お抱えの剣豪でもあったため、18歳というのはいくらなんでも若すぎるし、流派もさまざまな憶測が飛ぶ。当時29歳だった武蔵よりも40歳近く年上だったという説もあるから驚きだ。

 また、「佐々木小次郎」という名前も本名ではない。巌流島の決闘相手がこの名ではじめて登場するのは、安永5(1776)年に記された宮本武蔵の伝記『二天記(にてんき)』だ。これは武蔵の最晩年を後援した熊本藩の家老・豊田景英(かげひで)がまとめたもので、この『二天記』以降、小次郎の名は定着したものと推測される。

 そしてこの謎多き小次郎が巌流島で用いた愛刀が「物干し竿」という大太刀であった。

 

まるで「物干し竿」? 約1mの長さを誇った大太刀

 物干し竿の名前の由来は刀の長さにある。刃長は約1mほどであったといわれ、江戸時代の武士が帯刀する打刀や脇差などの長さから比べると20〜40cmほど長かった。しかし、いくら刃長が長いからといえ、「物干し竿」という名はいかがなものか。

 実はこの大太刀の名も、『二天記』の記された江戸時代中期頃に名付けられたのだ。しかし、いつ誰が命名したのかははっきりしていない。

 江戸時代は初代将軍・徳川家康が刀を長さを2尺8寸(約87.5cm)以内にするようにお触れを出したため、人々は小次郎の所有していた刀の長さが珍しかった。そのため「まるで物干し竿だ」と思われ、この名が定着したといわれる。

 とはいえ、物干し竿の長さは日本刀史上決して極端に長いわけではない。… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter