読むウイスキー~ウイスキーを味わうためのコラム(第3回)

日本ウイスキーの源、山崎蒸留所と鳥井信治郎の物語

2015.05.22 Fri連載バックナンバー

 京都に隣接する天王山の麓。桂川、木津川、宇治川が合流する場所。川の水の温度差が霧を発生させ、ウイスキーの熟成に最適な条件をつくりだす。そこにあるのが、日本人の繊細な味覚にあうウイスキーを世に送り出す、日本で最初のモルトウイスキー蒸溜所、山崎蒸溜所だ。

 今回は、この山崎蒸留所を巡る物語と、昨年秋から放映されたNHKの朝ドラ『マッサン』では脇役に回った日本ウイスキーのキーマン・鳥井信治郎の功績を振り返る。

 

なぜ山崎が蒸留所に選ばれたのか

 山崎蒸溜所があるのは、京都の南西、山崎峡。京都と大阪のちょうど狭間にあるこの蒸溜所は、日本で初めて建設され、日本初のモルトウイスキーを世に送り出したウイスキーの蒸溜所だ。モルトウイスキーとは、大麦麦芽(モルト)のみを使用したウイスキーをさす。

 ウイスキーが日本に初めて上陸したのは1853年、ペリー総督率いるアメリカ艦隊が浦賀沖に来航した年とされる。また、ウイスキーが最初に輸入されたのは、明治維新後の1871年のことで、輸入元となったのはおもに薬酒問屋。欧米文化の香り漂うウイスキーは、当時は高級で珍しい舶来品だった。

 洋酒がまだ日本人の舌に馴染みがなかった時代、ひとりの男がウイスキーづくりに乗り出した。ジャパニーズ・ウイスキーの伝道者──エバンジェリストである彼の名は、鳥井信治郎。弱冠20歳で鳥井商店(後の壽屋[ことぶきや]、現サントリー)を興した鳥井は、赤玉ポートワインという甘味ワインの販売で成功、やがて本格的な国産ウイスキーづくりを決意する。

 スコットランドのスコッチウイスキーの製造法に関する文献を読みあさっていた鳥井は、そのなかで蒸溜所立地の重要性を学んでいた。「良い原酒は良い水が生み、良い熟成は良い自然環境なしには存在しない」という確信をもとに、京都郊外の山崎に蒸溜所を建設することに決めた。

 山崎は北に天王山、対岸の男山をはさんで桂川、宇治川、木津川が合流する土地で、水温が異なる川が接するため霧が発生しやすい。この湿潤な気候がウイスキーの貯蔵熟成に好影響を与えることを確信したのである。蒸溜所建設は1923年のこと、操業は翌1924年であった。そして1929年、待望の国産ウイスキー第1号「白札」が誕生する。

 鳥井が蒸溜所の建設に着手するにあたって、当時の醸造学の権威であったスコットランドのムーア博士に水の検査を依頼した。同氏から「山崎の水は、ウイスキー製造に最適の水」であるという検査報告が得られたという。

 山崎峡はその昔、万葉人が清流を歌に詠み、中世の貴人が離宮に集って狩りや詩歌管弦に興じた。また、侘び茶の祖である千利休は、現在の山崎蒸溜所のすぐそばに茶室「待庵(たいあん)」を建て、そこで茶を点てていた。その清らかな水は、歳月を経ても変わることなく、利休が茶を点てた水と同じ水で山崎蒸溜所のウイスキーが仕込まれている。

 

日本のウイスキーにはふたりのキーマンがいた

 日本で本格的なウイスキーをつくろうと志した人物は鳥井だけではなかった。壽屋(現サントリー)が山崎に日本初の蒸溜所を建設する5年前、1918年にひとりの日本人青年がスコットランドに渡った。その青年は、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝だ。… 続きを読む

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吉田 恒道

吉田 恒道

フリージャーナリスト&エディター

大学卒業後、世界のモード界を取材するファッション誌編集部でキャリアをスタート。自動車専門誌副編集長、男性ライフスタイル誌の編集長を複数務めた後、独立。フリーランスのジャーナリスト&エディターとして活動。近著に『シングルモルトの愉しみ方』(学習研究社)があり、2015年3月に電子書籍としても発売される。

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