横綱・千代の富士 1,000勝の陰のドラマ

大横綱にどう挑むか? ピンチをチャンスにする秘訣

2015.01.21 Wed連載バックナンバー

 人生においても、ビジネスにおいても、絶好のチャンスと思える場面や究極のピンチとしか思えない場面に出くわすことがある。

 特に勝敗を競うスポーツの世界は、そうした場面の連続である。しかし、記録的な場面で敗者になることは可能な限り避けたいと思うのも、人の気持ちからすれば当然のことだ。

 そうした場面が1990年3月場所にあった。この場所、「小さな大横綱」と呼ばれた千代の富士が、前人未到の通算1,000勝を達成した。実は、千代の富士は記録達成に1日だけ足踏みをしている。

 千代の富士は初日から5連勝し、通算1,000勝にあと1つと迫った。1,000勝目の対戦相手は関脇・霧島だった。

 

遅れてきた大関候補・霧島、千代の富士の大記録を阻む

 霧島は1975(昭和50)年3月に初土俵を踏み、当時既に30歳。力士が大型化する中にあって千代の富士同様に大きな力士とは呼べなかった。ウェイトトレーニングで鍛え上げた身体と引き締まった顔つきから「和製ヘラクレス」などと呼ばれたが、上位の壁に阻まれて三役(大関・関脇・小結)に定着できなかった。

 しかし、前年の9月場所に前頭筆頭で8勝7敗と勝ち越した後は、小結で迎えた11月場所を10勝5敗、1月場所を11勝4敗と上り調子だった。関脇在位は1場所ながら、星勘定によっては大関昇進の可能性がある中で迎えた3月場所だった。

 霧島の6日目までの成績は4勝1敗。順調な滑り出しと言えたが、霧島は千代の富士との対戦を11戦全敗と苦手にしていた。そのため、この日に千代の富士が通算1,000勝を達成するとの見方が強かった。… 続きを読む

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結城 数馬

結城 数馬

フリーライター

歴史・文学からビジネス、スポーツ等、幅広い分野において執筆を行う。共著に『武田勝頼の滅亡は武田信玄の残したリソースを有効活用できなかったことに尽きる』『IT・ベンチャー企業の組織作りは豊臣政権崩壊に学べ』『新約 真田幸村』『信長のおばさん』等(全て、まんがびと刊)がある。

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