ガイドブックに載っていない、とっておきの京都案内(第2回)

京都の原点を訪ねる~地下に眠る平安京の史跡巡り

2014.11.18 Tue連載バックナンバー

 1000年間にわたり日本の帝都として君臨した京都。その原点である平安京の史跡はいま、地下深く眠っています。そんな平安京の史跡を訪ねて、京都の源を体感してみましょう。

 

平安京ってどんな都?

 歴史の勉強で行った「なくよ・うぐいす平安京」という語呂合わせを覚えていますか?「なくよ」とは「794年」、すなわち日本の首都が平城京(奈良県奈良市)から長岡京(京都府長岡京市)を経て、平安京(京都)へ移った年です。平安京はこの年から約1000年間の長きにわたり日本の帝都として機能してきたのです。

 京都はこの平安京をベースに発展した都市ですが、今の京都の地図を見ても、平安京時代の姿は簡単にはわかりません。現在、京都の中心部には「京都御所」がありますが、これは中世以降に造られた内裏(だいり、皇居のこと)で、平安京時代は里内裏(内裏が火災にあった時などに使う臨時の内裏)が置かれていたところでした。

 平安遷都の時の内裏は、京都御所から1.7km西の千本通り周辺にありました。当時はおおよそ東西4.5km、南北5.2kmのやや南北に長い長方形の形をしていました。その中央北部には宮城(きゅうじょう、天皇の住む所)である大内裏(平安宮)が置かれ、14の門に囲まれていました。大内裏の南面中央の朱雀門からは南に向かい朱雀大路が伸び、南端には羅城門が建っていました。現在の京都の通りでいうと、北端が一条通り、南端が九条通りで、朱雀大路はいまの千本通りに当たります。

 現在の京都には、多くの戦災にみまわれたこともあり、平安京の建物などは一切残っていません。遺跡として地下に眠り、あるのはこの地にあったとされる宮殿や門を示す石碑や説明板のみ。

 ですが、そうした場所をめぐることにより、普通なら見ることのできない、平安時代の“真の京都”の姿が見えてくるのです。今回は京都の原点である平安京の史跡をめぐってみたいと思います。

 

平安京の宮殿や門を復元した平安神宮

 最初に、平安京にどんな建物があったかがわかるスポットを訪ねてみましょう。平安京の在りし日の姿を実感できるのが「平安神宮」です。平安神宮の建物は平安遷都1000年を記念して、かつての平安京の宮殿や門を模して建てられました。

 社殿は、平安京の大内裏の正庁(正面の大広間)である「朝堂院」を復元しています。そして明るい朱色が特徴の正面の神門は、朝堂院の正門「應天門」を模し、その内側にある左右の殿舎は朝堂院を復元したものです。さらに外拝殿(げはいでん、拝礼を行う殿舎)は、朝堂院の本殿である大極殿を模しています。いずれの建物も朱色と緑の瓦が特徴的。その堂々とした姿を、まずは目に焼き付けておきましょう。

 実は平安神宮の建物は、実際の平安京の建物を約8分の5の大きさにスケールダウンしています。1200年も前に建てられた平安京の建築物がいかに巨大なものであったか理解できることと思います。

 

平安京の史跡めぐり

 平安京のイメージが理解できたら、いよいよ平安京があった場所へ行きましょう。今回は平安京の正門で入口である「羅城門跡」を訪ね、そこから朱雀大路である千本通りを北へ進み、平安京の中心部・大内裏を目指します。… 続きを読む

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高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

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ベストフィールズ代表

大手アパレルで店舗開発を担当、その後、専門誌系出版社で企画編集を中心に勤務、退社後、編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」を立ち上げる。旅行・歴史・フード・ペット・マリンスポーツなどのエンタメ系から経済、ファッションまで幅広い分野での書籍・雑誌・ムック・商業制作物の執筆、編集、撮影、制作を行なっている。

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