上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第9回)

失敗を糧に急成長、一騎で五千の兵を足止めした張飛

2015.02.16 Mon連載バックナンバー

 『三国志演義』において、劉備(りゅうび)関羽(かんう)を兄として慕う、桃園三兄弟の末弟として登場する張飛(ちょうひ)。

 虎のようなヒゲを顔中に生やした大酒飲み。気が短く、暴れ出したら手がつけられない。武勇も抜群で、紀霊(きれい)、馬岱(ばたい)、曹豹(そうひょう)などの猛将を一騎討ちでまったく寄せ付けずに退け、数々の戦場で軍功を立てる。まさに「豪傑」の代名詞ともいうべき男だ。

 だが、歴史書「正史・三国志」には、風貌や酒好きといった「おなじみ」の姿は描かれていない。彼が「一騎討ちをした」という記録も実はいっさい無い。それらはあくまで物語の中で味付けされた描写に過ぎないのだ。しかし、一見無味乾燥ながら正史の記述を読み進めると興味深い彼の人物像が浮かび上がってくる。

 

若いころは失敗ばかり繰り返す、おとぼけキャラ

 旗揚げ当初、張飛は関羽とともに劉備のボディガードとして常に傍らに付き従っていた。劉備軍が大きくなるにしたがって出世し、一軍を率いる将として活躍するようになる。

 そして12年ほど経った西暦194年、張飛は徐州(山東省南部および江蘇省北部周辺)にある下ヒ城(かひじょう)の守備を任された。一時的にせよ、一国一城の主となったのである。

 しかし、味方の将軍と仲違いし、その隙を突いた呂布(りょふ)に城を奪われてしまう。城だけでなく、城内にいた劉備の妻子たちまで捕虜にされるという愚をおかしてしまったのだ。(正史三国志「先主伝」英雄記)

 『三国志演義』では、劉備から「酒を慎め」と命じられたのに、それを破って失敗したというアレンジがなされている。その後も、関羽が一時的に曹操軍に降ったことを「裏切った」と思いこみ、再会したときに斬りかかる。昼寝する諸葛亮(しょかつりょう)に腹を立てて家に火をつけようとするなど、短絡的な性格を示すエピソードには事欠かない。

 

橋の上で大見得を切り、曹操の大軍を足止め

 そんな張飛に、最大の見せ場がやってくる。208年、中国北部を統一した曹操(そうそう)が大軍で侵攻し、劉備軍は真っ先にその標的となった。… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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