上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第7回)

ヤツは必ず戻る!昨日までの敵を信じた英雄・孫策

2015.01.14 Wed連載バックナンバー

覇王・項羽を彷彿とさせる、超人的な軍才の持ち主だった

 「昨日の敵は今日の友」という言葉は三国志の時代のような乱世にこそ、ふさわしい。今回紹介する孫策(そんさく)は、その体言者である。

 孫策は、とにかく戦(いくさ)に強かった。個人的な武勇に優れていたことはもちろん、兵を率いて戦う「統率力」において、当代では群を抜く存在であったといえる。

 その強さから、小説『三国志演義』では、古の覇王・項羽(こうう)になぞらえて「小覇王」と称され、正史(歴史書)『三国志』の著者である陳寿(ちんじゅ)も、「勇猛さと鋭敏さは並ぶ者がないほどであり、志は中国全土を圧倒するほどだった」と評している。

 強いばかりではなく、容姿端麗で人の意見をよく聞き、しかも大らかな性格であったというから、彼の周りには自然と大勢の人々が集まってくるようになった。

 西暦194年、20歳を過ぎたばかりの孫策は、江東(中国東南部)へ兵を進める。そして、わずか数年後、江東一帯に広がる6つの郡(領土)をことごとく制圧して一大勢力に躍り出た。

 実は当初、孫策は袁術(えんじゅつ)という豪族の支配下にあったのだが、勢力拡大とともにその支配から脱却して独立を勝ち取った。現代でいえば20代の若者が、融資してもらった金を元手に会社を作り、たった数年で一流企業に育て上げたというところか。

 

三国志版「走れメロス」ともいうべき、好敵手同士の美談

 さて、その江東における戦いのなかで、孫策はひとりの勇猛な将軍と出会った。名は太史慈(たいしじ)といい、劉ヨウ(りゅうよう)という豪族の配下として働いていた。

 太史慈は怪力無双の豪傑で、弓も百発百中の腕前を持っていた。はるか遠くの砦にいる山賊の手を、つかんでいる柱もろとも射抜いてしまったという逸話まで伝わる。

 その太史慈の軍勢との戦いのさなか、孫策はみずから敵の情勢を探ろうと、神亭(しんてい)という場所まで偵察に出た。孫策はいつの間にか味方の手勢とはぐれ、一人になっていた。

 そこへ、向こうから一人の男がやってきた。男は同じく偵察に出てきていた太史慈である。なんと、大将同士が森の中で鉢合わせとなってしまったのだ。一瞬、立ちすくんだ両雄であったが、敵を前にして戦わないわけにはいかない。

  二人は互いに名乗りをあげると、一対一の決闘を始めた。嘘みたいな話だが、以下は正史『三国志』に記された展開である。… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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