上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第41回)

勤続30年の功績をただ一戦で失った悲運の将・于禁

2016.11.13 Sun連載バックナンバー

 中国が誇る世界遺産のひとつ、泰山(たいざん)をご存じだろうか? 現在の山東半島・泰安市にそびえる標高1,500mの山で、かつて始皇帝が天下泰平を天に報告する「封禅(ほうぜん)」という儀式を行なった場である。漢の末期、その泰山の近くの集落で、ひとりの男が産声をあげた。のちに大国・魏において、「武勲第一」といわれた五将軍(ほかに張遼・楽進・張コウ・徐晃)のひとりとして名を轟かせる、于禁(うきん)である。

 

曹操直々の「面接」に合格、いきなり最前線へ

 その幼少時代については不明だが、若くして「黄巾の乱」などで武功を立て、軍の上司から「大将軍に出世できる」とまで評価されていた。そんな于禁が本当の意味で世に出たのは、近隣で旗揚げしたばかりの曹操に抜擢されたことに尽きよう。西暦190年代の前半、曹操から面接に来るよう招かれた于禁は、程なく軍司馬(ぐんしば)という要職に任命され、敵陣を攻めるよう命じられたのである。

 于禁は難なくその陣営を攻め破り、「陥陣都尉(かんじん とい)」という役職を与えられるに至った。こうして曹操が課した「試験」をクリアし、働く場にも恵まれた彼は以後、水を得た魚のごとく武功を挙げ続けていく。特に曹操から高く評価されたのは、常に冷静かつ勤勉な性格と、的確な判断力であった。

 197年、曹操は張繍(ちょうしゅう)の軍に大敗を喫した。典韋(てんい)や曹昴(そうこう)らが戦死するなどして味方は混乱を極め、将も兵も散り散りになって逃げていた。于禁は数百名の兵を率い、懸命に撤退を指揮していたが、犠牲は増え、状況は悪化の一途を辿った。

 そこで于禁は決断する。馬首を返し、追撃してくる敵を防ぎにかかったのだ。戦いにおいて最も危険な役目とされる殿軍(しんがり)をみずから買って出て、味方の退却を助けたのである。その行為に部下たちも奮起。誰一人として離散せず、必死で敵を食い止めにかかった。

 

旧友さえも容赦なく斬り、大いに恐れられる

 多大な犠牲は出したものの、辛くも敵勢を振り切った後、于禁の部隊は裸で逃げる味方の兵たちに出くわした。于禁が「何事だ」と訊ねると、彼らは「青州(せいしゅう)兵に身ぐるみをはがされ、酷い目に遭いました」と口々に言う。青州兵とは以前、曹操に降伏した青州出身の兵たちであったが、曹操から優遇されていたのを良いことに、たびたび悪事を働いた。今回は敗戦のどさくさ紛れに悪さをしたのだろう。常日頃、于禁もそれを快く思っていなかったのか、青州兵の一軍団を武力で叩きのめした。

 後日、于禁は覚悟を決め、それを包み隠さず曹操に報告する。事情を聞いた曹操は、… 続きを読む

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勤続30年の功績をただ一戦で失った悲運の将・于禁
上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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