上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第34回)

百戦錬磨、「傷だらけの身体」で戦歴を物語った周泰

2016.04.24 Sun連載バックナンバー

 命がけで世を切り開こうとする英雄たちには、常に危難が付きまとう。三国志においても、蜀の創始者である劉備張飛趙雲らに何度も窮地を救われ、魏の創始者である曹操も危うく命を落としかけたところを典韋や許チョに救われた。

 今回はそれと同じく、呉の統治者・孫権の危機に際して活躍した周泰の活躍を綴りたい。

 

長江流域の村に生まれ、孫策に仕える

 周泰は揚州(ようしゅう)の九江(きゅうこう)という湾岸の村で生まれた。現在でいう江西省九江市にあたり、南に世界遺産の廬山(ろざん)がそびえ、すぐ北には長江が横たわっている。この地方の人々は幼い頃から水に親しみ、泳いだり船を操ったりすることに長けていたであろう。そうした環境下で育ったと思われる周泰は、小説『三国志演義』では蒋欽(しょうきん)という相棒とともに江賊(海賊)の親玉をしていたことになっている。

 史実では賊をしていた経歴は見られず、成人した彼は西暦194年頃、まだ袁術の支配下にいた孫策の陣営に、蒋欽と一緒に加わった。身分の低い家柄の出であったため、軍人になって身を立てようとしたのだろう。以来、蒋欽とともに孫策の側近に取り立てられ、戦場で数々の手柄を立てた。やがて周泰は、孫策の弟・孫権の護衛役を務めることになる。まだ10代だった孫権が周泰を気に入り、兄に頼んで自分の配下に置きたいと願い出たのだ。

 ある時、孫策が異民族(山越族[さんえつぞく]=中国南東部の少数民族のこと)の討伐に出かけたため、孫権はその留守をあずかっていた。孫権の護衛は1,000人足らずであったが、周りに怪しい動きもないため、将兵は警戒を怠っていた。すると突如、… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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