上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第33回)

その優しさ、みなぎる勇気が仇となった豪将・夏侯淵

2016.03.18 Fri連載バックナンバー

 曹操に旗揚から付き従った最古参の将といえば夏侯惇(かこうとん)が有名だが、その弟分にあたる夏侯淵(かこうえん)の存在も忘れてはならない。正史・三国志によれば夏侯惇の族弟(いとこ)であり、曹操の妻と夏侯淵の妻は姉妹だったから、3人は兄弟同然の間柄である。

 

曹操の身代わりで罪を被り、弟の子を育てた

 夏侯淵は若い頃から優しい性格であった。義兄・曹操が罪に問われた時、夏侯淵はその罪を自分が被って身代りになり、それを感謝した曹操に救出されている。また領地が飢饉に遭って飢えに苦しんでいる時、自分の幼子を捨ててまで死んだ弟の娘を養育したという逸話が残る。

 裏切りや謀略が当たり前だった世の中で、このような人格は命取りにもなる。だが義兄・曹操はそんな夏侯淵の性格を愛し、心から信頼して重く用いた。夏侯淵もその期待に応え、袁紹(えんしょう)軍との「官渡(かんと)の戦い」、馬超(ばちょう)軍との「潼関(どうかん)の戦い」などに従軍して戦功を立て続ける。

 兵を率いることが得意で、その戦法は速戦速攻。機動力を生かした用兵ぶりは「夏侯淵の軍勢は三日で五百里、六日で千里も進む」とうたわれたほどだった。一方で兵糧監督などの後方支援も得意とし、多くの局面で活躍を見せた。小説『三国志演義』では弓の名手とされ、的に刺さった4本の矢の真ん中を射抜くという抜群の腕前を披露する場面がある。

 その軍才は、主に西の有力者や西方異民族との戦いで発揮された。ある時、味方の軍勢が馬超の攻撃を受けて危機に陥った。諸将が「主公(曹操)の命令を待つべきです」と意見する中、夏侯淵は「返事を待っているうちに味方は敗北してしまう」と言って出陣を命じ、見事に馬超軍を破って救援に成功している。

 

夏侯惇と並び「東西の横綱」に… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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