上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第27回)

孫子の血を引く孫堅、孤軍奮戦して董卓軍を圧倒する

2015.11.12 Thu連載バックナンバー

 武田信玄が用いた軍旗の文字「風林火山」は、孫子(そんし)の兵法の一節から抜粋された言葉だ。孫子の兵法とは文字通り、「孫子」こと孫武(そんぶ)という人物が書いた兵法書。三国志の時代より700年ほど前の紀元前6世紀、春秋時代に生きた兵法家とされる(中国で「子」とは「先生」との意味もある)。

 その孫武の末裔と称していたのが孫堅(そんけん)である。正式な家系図が残っているわけではないが、まさしく孫武の血を引いていたのかと思われるほど戦(いくさ)に強かった。孫堅が歴史上に登場するのは、17歳の頃に父親とともに船旅をしていた時だ。

 

海賊どもを一網打尽、17歳にして華麗なデビュー

 彼の地元に近い銭唐(せんとう=中国東部の杭州市。上海より少し南)という村に着くと、そこで海賊たちが略奪をしている光景に出くわす。孫堅は何を思ったか、父が留めるのも聞かずに飛び出して小高い丘に駆け登った。その頂きで刀を振りかざし、あたかも大軍を指揮するような真似をしたのだ。それを見た海賊たちは大軍が来ると勘違いし、一斉に逃げ散る。孫堅は山を駆け下り、首ひとつを手土産に戻ってきた。

 この活躍が有名になり、孫堅は役所に召し出されて治安維持活動を任された。彼のもとには1,000名もの若者が集まり、パトロール隊として行動するようになる。やがて大規模な反乱を起こした宗教指導者を鎮圧するなど、名の知られた存在になってゆく。

 西暦184年、大規模な民衆の反乱「黄巾の乱」が発生して朝廷がこの鎮圧のために義勇軍を募った。進んでこれに加わった孫堅軍は… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

連載記事

イエスマンになれず嫌われた、哀しみの軍師・田豊
上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter