上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第26回)

弁慶のモデル? 主君のために立ち往生を遂げた典韋

2015.10.28 Wed連載バックナンバー

 重さ20キロの武器を振り回して戦い、普通の人の倍も飲み食いする大食漢。そんな絵に描いたような豪傑が本当に存在したのが『三国志』の面白いところだ。今回、紹介する典韋(てんい)の活躍は小説(三国志演義)ではなく、正史(歴史書)三国志に見られるものである。

 

腕っぷしで人を驚かせ、曹操軍に雇われる

 典韋がデビューするのは、彼が知人の仇を討ったときだ。目的を達して帰るとき、数百人に追いかけられたが、ただ逃げるだけでなくあちこちでストリート・ファイトを行なって包囲を切り抜けたという。なんとも無茶な男だが、そのおかげで典韋の名が世間に知られるようになる。

 その後、典韋は軍隊に入るが、最初は兵卒に過ぎなかった。あるとき誰も持ち上げられない大きな軍旗を見つけ、「まかせろ」とばかり進み出た彼は、なんとそれを片手1本で持ち上げてみせたのだ。この怪力が注目されないはずはない。ほどなく彼は曹操軍の最高幹部・夏侯惇(かこうとん)にスカウトされ、彼の部下に取りたてられた。

 西暦194年、曹操軍は呂布(りょふ)軍と激戦を展開していたが、典韋の武勇は実戦でさっそく発揮される。最強の猛将と呼び声高い呂布みずから加わっての大乱戦になり、矢が雨あられのように降り注ぐなか、典韋は物陰に潜んで敵兵をわざと引き付けた。従者が「5歩!」と、敵兵の迫った距離を知らせた瞬間、典韋は躍り出て大暴れを始める。戟(げき=矛や槍状の武器)を両手に持ち、次々投げつけて奮戦する彼の前に、勇猛な呂布軍の兵たちも続々と倒れ、ついに怖気づいて引き下がったという。

 こうした活躍が認められ、典韋は曹操の親衛隊長となる。前述のように大食漢であり、宴会の時は豪快な飲みっぷりで、給仕を数人に増やしてやっと間に合うほどだった。曹操はその姿を「見事だ」としきりに褒め、世の人々は「曹操軍に典韋あり、一双戟八十斤を提ぐ」(約20キロの長い武器を持ち歩く)と讃えられたという。

 

主君を逃がすため10倍の敵兵を相手に奮闘

 それから3年後、典韋に運命の時が訪れる。… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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