上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第25回)

老いて盛んな武将・黄忠、齢70にして敵将を討つ

2015.10.16 Fri連載バックナンバー

 「老いて、なお盛ん」という言葉を聞いたことがあるだろうか。小説『三国志演義』において、その言葉の語源となった武将が、黄忠(こうちゅう)だ。中国では「黄忠」すなわち、「元気な老人」を意味するそうである。

 黄忠は、『演義』の中盤に差し掛かる場面で、荊州(けいしゅう)の南部にある長沙(ちょうさ)を治める韓玄という人物の配下として登場する。齢60を超える猛将だが、それまで彼が何をしていたのかは、まったく触れられない。ただ、その武勇と忠義心は音に聞こえ、周囲から一目置かれる存在であったことは間違いない。

 

60歳を超えるベテラン将軍、華々しいデビュー

 209年、その黄忠の真価が発揮される時がやってくる。劉備軍が長沙へ攻め込んできたのだ。この時期の劉備軍は零陵(れいりょう)、武陵(ぶりょう)、桂陽(けいよう)を立て続けに攻め落とす快進撃を見せ、その勢いは日の出のようだった。

 寄せ手を率いる劉備軍の大将は、天下の名将・関羽。これに対し、「老将軍が出陣するまでもない」と志願して楊齢(ようれい)という豪の者が出陣し、関羽に挑みかかったが、ただ一刀で斬られてしまった。うろたえる韓玄を横目に、真打ち登場とばかり黄忠が出陣。勇躍、関羽と刃を交えて斬り結んだ。

 両者の腕前は互角。黄忠は年齢をまったく感じさせない戦いぶりで関羽を驚かせる。当時、関羽も50歳近い。それでもひと回りほど年下の関羽と堂々、互角に渡り合う黄忠の武勇に誰もが感心した。敵味方が見守る中、両雄は百回以上も打ち合い、勝負はなおも白熱する。

 ところが、激闘に耐えかねたか黄忠の乗馬の足が折れ、黄忠は地面に投げ出されてしまった。そこへ関羽が迫り、… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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