上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第24回)

叩き上げの軍人・呂蒙、音もなく近寄って関羽を討つ

2015.09.29 Tue連載バックナンバー

 呉の孫権(そんけん)は、優れた人材を豊富に抱えていたが、その中でも周瑜(しゅうゆ)魯粛(ろしゅく)、呂蒙(りょもう)、陸遜(りくそん)という4名の将軍がつとに有名だ。いずれも家柄が良く、地元に知られた名家の出身という中、呂蒙だけが例外だった。彼は実力で全軍を統べる立場に出世した「叩き上げの軍人」である。

 

血の気の多い若武者、孫策にスカウトされる

 呂蒙は小さい頃に父を亡くしたようで、母と一緒に貧しい暮らしをしていた。初めて戦場に立ったのは西暦194年。16歳くらいの頃だった。義兄(姉の夫)にトウ当(とうとう)という男がいて、彼は孫策に仕えていた。呂蒙はある日、トウ当が孫策の命令で山賊討伐に出た時、こっそりと後を付いていく。義兄は幼い呂蒙が許可もなく付いてきていることに気付いて叱り飛ばしたが、呂蒙は帰ろうとせず、そのまま従軍した。

 家に帰ると、心配した母に「なんて危ないことをするの」と叱られたが、呂蒙は言い返した。「もう貧しい暮らしはごめんです。虎の穴に入らなければ、虎の子は捕まえられません。私は戦いで手柄を立てます」と。母もそれ以上、何も言えなくなったという。この「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という故事成語は、当時より100年ほど前、前漢の班超(はんちょう)という武将が発したものに由来する。

 以来、常に義兄の軍に付き従うようになった呂蒙だが、彼を小僧と見て馬鹿にする者がいた。「お前みたいなガキに何ができる」などと会うたびに言われ、必死に耐えていたが、とうとうキレた。刀を抜き、その男を滅多切りにしてしまったのである。

 だが時は乱世、勇猛な男は重宝された。義兄の主・孫策は「血気に逸って人を殺すのは良くないが、その気迫は捨てがたい。私がお前の面倒を見よう」と、呂蒙を側近に取り立てたのだ。この出会いが、彼を大きく飛躍させ歴史を変えることとなる。

 

孫権の言葉に発奮し、「蒙ちゃん」を卒業

 時は流れ、孫策が亡くなり、その弟・孫権が呂蒙の主君になった。呂蒙は戦いのたびに手柄を立て続ける。208年、孫権が父の仇を討った黄祖(こうそ)討伐戦では、呂蒙は陳就(ちんしゅう)という武将を討ち、全軍を勝利に導く功績を立てた。

 当時、呂蒙は周瑜の補佐官として活躍していたが、その周瑜が36歳の若さで亡くなると、後任の魯粛が、呂蒙のいる前線の陸口(りくこう)へ赴任してきた。以前から親しかった2人は久々に酒を酌み交わす。魯粛は、もともと呂蒙を「阿蒙」(あもう=蒙ちゃん)と呼んで可愛がっていたほどだった。一方で、それは呂蒙が武芸ばかりで学問をしないために、やや見下した呼び方でもあった。

 しかし、呂蒙に会った魯粛は自分の耳目を疑う。… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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