上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第23回)

本当は実在した? 呂布をダメにした魔性の女、貂蝉

2015.09.19 Sat連載バックナンバー

 中国四大美女をご存じだろうか? 文字どおり中国の歴史上で特に美しかったといわれる4人の女性。春秋時代の西施(せいし)、漢の王昭君(おうしょうくん)、唐の楊貴妃(ようきひ)、そして三国志の時代(後漢)の貂蝉(ちょうせん)のことだ。

 実は、中国史上で「美女」とされる女たちは、良い意味ではなくその逆の扱いであることが多い。美しすぎて男を骨抜きにし、国を傾けてしまった「傾国の美女」として語られるのだ。ほかにも秦代の虞美人(ぐびじん)、唐の則天武后(そくてんぶこう)、清の西太后(せいたいごう)あたりは日本でも有名かと思う。

 上に挙げた美女たちと違い、貂蝉の特徴は「架空に近い人物」であることだ。だが、小説『三国志演義』には無くてはならない存在で、この人が出てこなければ話が先へ進まないほどである。

 

「貂蝉」という名に隠された本当の意味

 192年、当時の中国の都・長安では、董卓(とうたく)が最高権力者として君臨していた。董卓は皇帝を「ないがしろ」にする暴君でもあったため、多くの人が彼に反発する。しかし、董卓は非常に強く、おまけに天下無双の豪傑・呂布(りょふ)が、常にボディガードとして傍に付き添っているので誰も逆らえなかった。

 あの曹操も、かつて董卓暗殺に失敗し、都を逃げ出してしまう始末。誰もが絶望するなか、王允(おういん)という大臣が一計を思いつく。王允の屋敷には当時16歳の美しい娘がいた。その名は貂蝉(ちょうせん)。実の子ではないが、幼いころに王允が保護し、歌や舞いを仕込んでわが子同然に可愛がっていた。

 ちなみに「貂蝉」とは個人の名ではなく、動物の貂(テン)の尻尾と、蝉(セミ)の羽を模した金箔で飾った冠(かんむり)のことを言う。当時の最高級品であった貴人の装飾品という意味であり、それを管理する「貂蝉官」など役職名として使われていた。だから彼女の本当の名は分からない。

 

相次いで英雄たちを虜にする

 ある夜、王允は貂蝉を呼び、涙ながらに懇願する。「お前を使って董卓と呂布の仲を裂きたい。お国のためだ、分かってくれ」と。貂蝉は… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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