上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第19回)

常勝将軍・徐晃、私情を捨て関羽を真っ向から撃破!

2015.07.14 Tue連載バックナンバー

 中国の歴史書、正史「三国志」には、曹操の政権下(魏)で抜群の戦功をあげた5人の名が挙げられている。それは、張遼(ちょうりょう)、楽進(がくしん)、于禁(うきん)、張コウ(ちょうこう)、徐晃(じょこう)の五将だ。

 夏侯惇(かこうとん)、曹仁(そうじん)など曹操の身内を除くと、確かに先の5人はベスト5といっても良いだろう。その5人の中でも双璧といえるのが、あの「泣く子も黙る」張遼(第11回)と、今回紹介する徐晃である。

 

小説ではドジを踏むが、正史では常勝無敗

 小説「三国志演義」において、徐晃は大斧、いわゆる「まさかり」を武器に曹操軍の前に立ちはだかり、猛将・許チョ(きょちょ)と互角に戦うというデビューを飾る。つまり、日本でいう「金太郎」こと、坂田金時のような風格を持つキャラクターだ。

 その後、曹操の人物に惚れ込んで配下となるが、袁紹(えんしょう)軍の猛将・顔良(がんりょう)との一騎打ちに敗れ、文醜(ぶんしゅう)に張遼と2人がかりで挑むも苦戦して、当時曹操軍に身を寄せていた関羽に助けられる。部下の王平(おうへい)と仲間割れした揚句、怒った王平が敵へ寝返ってしまうという、ドジを踏むところも小説では描かれる。

 それも個性的で良いのだが、正史「三国志」の徐晃は小説と違ってミスがない。自ら大軍を率いる機会は少ないが、彼自身が率いる手勢は不覚をとったことがなく、「常勝無敗」を誇る。「小説との違いは何だろうか?」と頭を抱えたくなるほど完璧な活躍ぶりなのだ。

 性格も慎重すぎるほど慎重な人である。戦場では常に先々へ、スパイを送り込んで情報収集をする。あらかじめ負けた時のことを考えて、万全な備えをしてから戦うが、いったん有利に立てば、兵士に飯を食うヒマすら与えずに号令をかける激しさも見せる。

 「好機とみれば攻め、不利とみれば退く」という当たり前のことだが、これを徹底するのは難しい。しかも、戦いに勝った後に諸将の軍勢が気を緩めているなか、徐晃の軍勢だけはビシッとして微動だにせず、曹操を感心させたこともある。いかに彼が優秀な将軍であったかが伺えよう。

 

徐晃の本領が発揮された関羽との戦い

 そんな徐晃の本領が発揮されたのが、219年「樊城(はんじょう)の戦い」だ。曹操軍の要衝・樊城が、蜀(しょく)の関羽に攻められ、完全包囲された。樊城の守将・曹仁(そうじん)は、粘り強く戦うも関羽の猛攻を受けて大苦戦に陥っていた。

 曹操はこのピンチに、五将のひとり・于禁(うきん)らを派遣したが、大雨で河が氾濫(はんらん)し、于禁は右往左往しているところを攻め破られ、関羽に降伏してしまった。

 関羽、恐るべし。さらに窮地に陥った曹操は、切り札ともいえる徐晃に出陣を命じた。命令を受けて出発した徐晃だが、このときの彼の軍勢には新参者が多く、歴戦の関羽軍と戦うには頼りない限りだった。

 そこで徐晃は決断する。… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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