上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第13回)

主君の妻子を命がけで救った特殊部隊のトップ、趙雲

2015.04.14 Tue連載バックナンバー

 愛用の長槍「涯角槍」(がいかくそう)を抱え、白馬に乗って戦場を駆ける長身の美男子……。趙雲(ちょううん)は、小説『三国志演義』の登場人物の中でもクールな存在感を放つ。さながら西洋の王子様のようである。

 実は、その槍や白馬は創作上の産物ながら、8尺(184センチ)という身長と「容姿がきわだって立派だった」ということだけは『趙雲別伝』という当時の史料に、ハッキリと記されている。

 夢を壊すようで申し訳ないが「立派だった」という描写から、イケメンの王子様というより、プロレスラーや格闘家のような容姿だったのだろう。にも関わらず、京劇でも人形劇でも、ドラマでもゲームでも、趙雲はイケメンの役者が演じたり、美形の絵で表現されたりすることが定番になっている。とにかく、「格好いい男」なのだ。

 

評判を聞き、わざわざ遠くの勢力へ身を寄せる

 その登場場面も、実に格好いい。彼の故郷は冀州(きしゅう)の常山(じょうざん)という中国北方の田舎で、そこに袁紹(えんしょう)が支配の手を伸ばしてきた。

 多くの人が名族・袁紹に仕えるなか、趙雲は違った。「幽州(ゆうしゅう)の公孫サン(こうそんさん)のほうが仁政を行なう」という評判を聞き、郎党を連れてそこまで駆けつけ、自分を売り込んだのだ。

 ほどなく、公孫サン軍は袁紹軍と戦争になるが、趙雲は文醜(ぶんしゅう)という猛将と勇敢に戦い、主君を窮地から救う活躍を見せた(三国志演義)。

 その後、残念ながら公孫サン軍は袁紹軍との戦いに敗れ、滅ぼされてしまうが、戦が終わると袁紹には仕えずに帰郷した。己が認めない人物には徹底して従わぬという気骨を見せている。

 西暦200年ごろ、趙雲は劉備が袁紹のもとに身を寄せたと聞き、馳せ参じた。一時期、ともに公孫サン軍に身を置いた趙雲と劉備は、そこで親交を結んで以来、互いに深く感じ入る仲だったのだ。劉備は趙雲の来訪を喜び、即座に迎え入れた。以来、時には同じ床で眠るなど、関羽張飛と同じぐらいの惚れ込みようだったという。

 

主君の妻子を救うため、敵軍の中へ馬首を返す

 趙雲が一躍名を高めたのは、それから8年後、西暦208年の「長坂(ちょうはん)の戦い」である。荊州(けいしゅう)にいた劉備軍は曹操の大軍に攻められ、散々に蹴散らされた。劉備は妻子を捨て、わずか数十騎を連れて逃げるほどの壊滅的な状況に陥る。

 劉備の護衛をしつつ、退却を助けていた趙雲だったが、そのとき彼は決断する。行方知れずとなった劉備の子・劉禅(りゅうぜん)を探すため、馬首を返したのである。… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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