上永哲矢の「三国志、歴史を変えた決断」(第12回)

「赤壁の戦い」の黒幕・魯粛、度胸満点の交渉術

2015.03.30 Mon連載バックナンバー

 「大胆不敵」とは、この男のためにある。歴史の表舞台に立つことなく、劉備や孫権(そんけん)など三国志の英雄たちを操った影の実力者。それが魯粛(ろしゅく)という人物である。

 小説『三国志演義』では、諸葛亮周瑜の狭間で揺り動かされ、ひたすらオロオロする役回りを演じる。それはそれで魅力的だが、『正史』を読み解けば、魯粛の本当の「凄味」が分かってくる。

 

放蕩三昧の裏で、密かに牙を研ぐ

 魯粛は、地元では名の知れた裕福な家に生まれた。中国東部、現在の安徽(あんき)省のあたりだ。父の死後、家を継いでからは私財を惜しまず、あらゆるところで使いまくった。ときには気前よくバラ撒いたという。

 家業は放り出し、仕事もしない。やる事といえば地元の若者を集めてきてタダで飲み食いさせ、家に寝泊まりさせて、大勢で野山を駆け回っての狩りである。魯粛を幼いころから知る村の大人たちは「あんなヤツが跡取りでは、魯家もおしまいだな」と噂しあったという。

 しかし、実はそれらの金は路頭に迷う人、困窮している人のために使われ、助けられた人々は魯粛に一目置くようになった。また、若者たちを集めたのも彼らの心を掴み、私兵として鍛えるためだった。時勢が乱世へと向かっていることを察し、有事に備えていたのである。

 使うべきときには惜しまず散財する。そんな魯粛の志を、凡人は見抜けなかったのだろう。この点、若いころ「うつけ者」と呼ばれながらも戦国時代を終焉へと導いた、織田信長に似たところがある。

 

周瑜に家の倉庫の中身をまるごと贈呈

 西暦198年、魯粛が28歳になったころ、近隣の居巣(きょそう)県を治める周瑜(当時25歳)が訪ねてきた。すでに孫策のもとで2,000人の兵を率いる将となっていた周瑜の目的は、魯家の財産にあった。

 周瑜自身も天下にその名を知られた名家の出身であったが、その彼をしても、魯粛が所有するばく大な財産は魅力だったのだ。

 周瑜の頼みを聞いた魯粛は、さっそく自邸の庭へと案内する。そこには… 続きを読む

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上永 哲矢

上永 哲矢

歴史コラムニスト、フリーライター

各種雑誌・ムックに歴史や旅の記事・コラムを連載。戦国時代や幕末など日本史を得意分野とするほか、三国志歴30年以上の愛好家としてイベント・講演の企画運営や、三国志関連本の制作にも関わっている。神奈川県横浜市出身。「オフィス哲舟」代表。公式サイト:http://kakutei.cside.com/job/

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