元巨人軍・角盈男が語る、プロ野球名監督列伝(第5回)

コーチの立場から見た「監督・野村克也」

2014.10.06 Mon連載バックナンバー

野村監督がコーチに求めたもの

 現役引退後、再び「野球」に触れる機会に恵まれた。1995年から、オファーを受けた古巣・ヤクルトスワローズの一軍投手コーチに就任したのだ。3年ぶりに再びスワローズのユニホームに袖を通すことになり「ID野球」をモットーとする野村克也監督に、今度は首脳陣の1人としてお世話になることになった。

 野村監督には挨拶もそこそこに、こう聞いた。

 「監督、オレに何を望まれますか?」

 コーチ業1年目の私は何も知らないことだらけだ。初めて首脳陣としてスタートを切るシーズンを前に、野村監督の目指すチーム方針を頭に叩き込んでおく必要があった。ところが野村監督から返ってきたのは予想外の言葉であった。

 「角よ、お前の好きなようにやっていいぞ」

 これには一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったような表情になってしまった。おそらく野村監督ならば、長々とした説明があり“ああしろ、こうしろ”といった押し付け気味の言葉があるであろうと覚悟していたのだが、それはまったくの見当違いであった。野村監督はコーチの自主性を重んじ、きっちりと分業制にすることでそれぞれの職務に責任を持たせていたのである。

 ただし、この野村監督の言葉は重かった。いわば、投手陣全体の管理責任をすべて負わされたようなものだ。

 それからは、もう必死だった。過去、野村監督に仕えたコーチの中で結果を残した人、あるいは残せなかった人はどういう指導法を行っていたのか。投手コーチだけに限らず、あらゆる部門に携わっていたスタッフのプロファイリングも密かに進めて参考にさせてもらった。そして自分の現役時代を振り返り「投手コーチに求めるポイント」をノートに列挙。おかげで春季キャンプ中、私が持参した1冊の分厚い大学ノートは、野村監督の「ID野球ミーティング」での重要事項も含め、小さな文字でビッシリ埋め尽くされた。おかげでコーチとして「やらなければいけない」という自覚が自然に強まっていった。

 

巨人戦のヒソヒソ話の内容

 コーチの立場だからこそ知り得た野村監督の“妙技”もあった。巨人がID野球を駆使する野村ヤクルトを異常警戒している――。そう確信した野村監督は、対巨人戦で、よくブラフ(はったり)を仕掛けていた。というのは、好機で打席に立つ打者をオーバーアクションで手招きしながら自分のところに呼び寄せ、何やらヒソヒソと耳打ちするのである。… 続きを読む

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角 盈男

角 盈男

元プロ野球選手、プロ野球指導者、野球解説者

 米子工業高校から三菱重工三原を経て、1976年、ドラフト第3位で長島監督率いる読売ジャイアンツに入団。その後、元祖ベースボールタレントとして活躍するかたわら、ヤクルトの投手コーチを経験し、球団を日本一にすることに貢献。また1997年、古巣・巨人の投手コーチに就任。ヤクルトの野村克也・巨人の長島茂雄両監督のコーチを経験した唯一の存在である。現在テレビでは野球評論家の傍らタレント活動としてバラエティ番組に数多く出演すると共に、講演活動、野球教室、著書の出筆など幅広く活動している。http://www.sumimitsuo.com/

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