元巨人軍・角盈男が語る、プロ野球名監督列伝(第4回)

野村克也~野球の80%は頭!!

2014.09.26 Fri連載バックナンバー

まるで講義のようなミーティング

 現役終盤で野球に対する考え方がガラリと変わった。日本ハムからヤクルトへの移籍が決定した直後の1992年2月。春季キャンプ地・米国アリゾナ州ユマで、私は当時ヤクルトを率いていた野村克也監督から「ID野球」を徹底的に叩き込まれたからだ。

 初めてミーティングに参加したキャンプ初日。他の選手やスタッフとともにノートとペンを持参して部屋に入ると着席した途端、全員が真剣な表情になった。そしてホワイトボードの前に野村監督が立つと、室内にはピ~ンとした緊張感が張り詰める。

「この空気は一体、なんなんだ……」

 戸惑っている私のことなど当然お構いなしに野村監督は淡々とミーティングを開始した。いや、それは「ミーティング」というよりも「講義」と称したほうが適しているかもしれない。ちなみに私がキャンプ初日に記したノートには、こう書かれている。

「『人間』とは、人の間と書く。人の間から落ちこぼれないようにしなければならない。『人間』には本能がある。その1つとして『みな幸福になりたい』『みな成長をしたい』という思いがある。赤ちゃんのままでは嫌だから、勉強をするのだ」

 これらはすべて野村監督がホワイトボードに記しながら、我々選手たちに説いた金言だ。ミーティングではチーム戦術や相手チームの分析だけでなく、プロ野球選手及び人として生きていく上での規律についても多くの時間が費やされた。野村監督ならぬ野村教授――。そう思わずにはいられなかった。

 野村監督の金言を我々選手たちは一語一句すべてノートに書き留める。小さな文字で1日につき約2~3ページ。気がつくとキャンプ終了時には、だいたい50ページぐらいの量にまで膨れ上がっていた。野村監督は「大事な要素は書くことで頭に入る」と話していたが、その通りだと実感した。

「野球の80パーセントは頭」
「野球の偏差値を上げることは頭脳を鍛えることに通ずる」

 これらの言葉も、野村監督が毎回のように口にしていた言葉だ。総じて言えば、考えながら野球をすること。これは当たり前のようで、実はできていないケースが多い。プロ生活15年目にして私は大きな財産を得た気持ちになっていた。

 

“大魔神”佐々木主浩のフォークボールにどう対抗する?

 もちろん、こうした「総論」だけではない。野球の技術的な「各論」の指示もまた絶妙であった。たとえば当時「難攻不落」だった横浜の守護神・佐々木主浩について攻略法をアドバイスする時、野村監督は打者にこう言っていた。… 続きを読む

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角 盈男

角 盈男

元プロ野球選手、プロ野球指導者、野球解説者

 米子工業高校から三菱重工三原を経て、1976年、ドラフト第3位で長島監督率いる読売ジャイアンツに入団。その後、元祖ベースボールタレントとして活躍するかたわら、ヤクルトの投手コーチを経験し、球団を日本一にすることに貢献。また1997年、古巣・巨人の投手コーチに就任。ヤクルトの野村克也・巨人の長島茂雄両監督のコーチを経験した唯一の存在である。現在テレビでは野球評論家の傍らタレント活動としてバラエティ番組に数多く出演すると共に、講演活動、野球教室、著書の出筆など幅広く活動している。http://www.sumimitsuo.com/

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