ビジネスマンの視点でドラマを楽しむ

戦国最強のNo.2、「軍師官兵衛」に学ぶ処世術

2014.05.17 Sat連載バックナンバー

 現在放送中のNHKの大河ドラマ『軍師官兵衛』。戦国の乱世を生きた天才軍師、黒田官兵衛の生き方には、現代のビジネスマンにも通じるものがありそうだ。

 黒田官兵衛(1547-1604年)は戦国時代から江戸時代初期まで活躍した武将であり、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった名将に仕えた参謀。いわば、No.2だ。今回、大河ドラマの脚本を担当している前川洋一は、池井戸潤原作のドラマ『空飛ぶタイヤ』、『下町ロケット』などを手掛けており、“ビジネスもの”の名手とされている。もちろん、『軍師官兵衛』は戦国時代を描いた“歴史もの”だが、乱世を生き抜く駆け引きや心理戦などは、現代のビジネスドラマにも通じるものがある。織田信長が「社長」ならば、豊臣秀吉は「部長」。黒田官兵衛は「係長」といったところだろうか。「その係長が今後、どうやって戦国の世をのし上がっていくのか」という視点でドラマを観てみるのも面白いかもしれない。

 

情報は最強の武器

 官兵衛についてはさまざまな創作があり、その人物像についても諸説あるが、共通しているのは、知略に優れ、先見の明があった名参謀という点だ。当初、官兵衛が仕えていた小寺家は播磨国(現在の兵庫県南西部)にあり、西に中国地方を支配する毛利輝元、東に新興勢力であった織田信長がいた。どちらの勢力につくか決断が迫られる中、小寺家の家臣の多くは古くから交流のあった毛利につくべきという考えだった。そんな中、官兵衛は「信長こそ天下を取る人物」と見抜き、織田側につくべきと進言した。テレビも電話もインターネットもない時代、官兵衛はどうやって的確な情報を得ていたのだろうか。

 当時、神社のお札は御利益のあるものとして今以上に人々からありがたがられており、それを各地に配り歩く御師(おし)という人たちがいた。官兵衛は、こうした御師のネットワークを使って情報収集をしていたのではないかと考えられている。孫子の兵法に「彼を知り己を知れば百戦してあやうからず」とあるように、官兵衛は何よりも情報を重んじ、その姿勢は生涯、変わることがなかった。天正14年(1586年)には豊前国(福岡県東部~大分県北部)の領主になるが、その際は、当時、大名や貴族たちの間で流行していた連歌を利用。たびたび連歌会を開いては、連歌師から諸国の情報を収集していたとされている。

 

ピンチをチャンスに変える逆転の発想

 そんな天才軍師にも幾多の試練があった。中でも最大の窮地は… 続きを読む

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産経デジタル

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