世界遺産が世界遺産である理由(第13回)

W杯で注目! ブラジルの世界遺産とその歴史

2014.06.06 Fri連載バックナンバー

 いま、ブラジルが熱い!

 BRICsの一角として台頭し、2014年にブラジルW杯、2016年にリオデジャネイロ五輪を控えてますます注目が集まっている。

 日本から見て地球の裏側にあるということもあり、サッカー以外で余りなじみのないこの国を、12件の世界文化遺産を通して学んでみよう。

 

ブラジルの混血社会と融合文化

 セレソン(サッカー・ブラジル代表)の顔ぶれを見ると、ラテン系からアフリカ系までさまざまな顔立ちがあり、多彩な人種が混ざっていることがよくわかる。

 ヨーロッパの人々がやってくる以前、ブラジルにいたのはアジアと同じ黄色人種だ。16世紀にポルトガル人が移住をはじめて白色人種が増え、その後アフリカから奴隷として黒色人種が運び込まれた。

 植民地時代、北アメリカには「血の一滴の掟」があった。一滴でも白人以外の血が混じっていたら黒人であるという掟で、異人種間の婚姻は嫌われ、法的に禁じる地方さえあった。だから北アメリカではブラジルほど人種の多彩性は見られない。

 しかし、ブラジルでは白人と先住民の混血・メスティソ、白人と黒人の混血・ムラート、先住民と黒人の混血・サンボと多彩な混血が存在し、人口の4~5割を占めている。

 イパネマやコパカバーナといったリオデジャネイロのビーチへ行けばそれは一目瞭然だ。白、黒、黄はもちろん、その間のあらゆる色を見ることができる。しかもそれぞれが分け隔てなく交流しており、白人と黒人のカップルも珍しくはない。

 この「融合」こそブラジルを支えてきた最大のアイデンティティなのだ。

 

ポルトガルによる入植

 ブラジルの歴史を見てみよう。

 15世紀後半、地中海貿易から取り残されたポルトガルは、「アフリカの向こうにインドがある」という伝説を信じて航路の探索に全力を注いでいた。そして1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに到達し、ついにインド航路を「発見」する。

 香辛料貿易を確立するために、ポルトガルは1500年にカブラルをインドへ派遣。しかし嵐に遭遇して航路が大幅に西に逸れ、未知の大地に到達する。カブラルは西洋人がいないことを確認するとその土地を「ブラジル」と名付け、領有を宣言した。

 1502年、ポルトガルの探検隊がブラジルでふたつの湾を発見する。湾は外洋の高波を妨げ、外敵から守りやすいという利点がある。おまけにこれらの湾には淡水を確保するための川があった。こうしてふたつの湾に入植を開始。これが世界遺産「サルバドール・デ・バイア歴史地区」であり、「リオデジャネイロ:山と海の間のカリオカの景観」だ。

 これを皮切りに各地に植民都市が建設された。その一例が世界遺産「オリンダ歴史地区」「サン・ルイス歴史地区」「サンクリストヴォンの町のサンフランシスコ広場」であり、キリスト教布教の拠点となったのが「ボン・ジェズス・ド・コンゴーニャスの聖所」や「グアラニーのイエズス会伝道施設群」だ。

 

ヨーロッパ・先住民・アフリカの融合

 植民地で行われていたことは主にふたつ。ひとつは金銀財宝の発見・発掘だ。ブラジルにはアステカやインカのような大きな国がなかったので、金を略奪することはできなかったが、金鉱が次々と発見されてゴールドラッシュで沸き返った。世界遺産「古都オウロ・プレート」と「ゴイアス歴史地区」が金の鉱山都市で、ダイヤモンドの鉱山都市には「ディアマンティーナ歴史地区」がある。

 もうひとつがプランテーションの経営だ。ブラジルでは香辛料は見つからなかったが、サトウキビやカカオ、コーヒー、タバコなどの大農園を作ってヨーロッパに輸出した。その労働力として使われたのが奴隷狩りによって集められた先住民だ。そして先住民を狩り尽くすと、アフリカから黒人奴隷を輸入した。

 ポルトガル人が他の西洋人と異なっていたのは、現地により溶け込んだ点だろう。イギリス人やフランス人のように一族や家族で移住するのではなく、単身ブラジルに渡ってインディヘナや黒人の女性と結婚し、家庭を築いた。こうして現在に続く混血社会が生まれ、文化の融合と創造が行われた。

 たとえば音楽。サルバドールの黒人奴隷たちがアフリカの宗教音楽を発展させてカンドンブレを確立。これにヨーロッパのリズムが加わってサンバが生まれ(無形文化遺産「バイア州ヘコンカヴォ地域のサンバ・デ・ローダ」)、ポップスやレゲエのテイストを加えてアシェへと進化した。

 こうした融合は料理や建築、絵画、文学等々、あらゆるジャンルで進められた。

 

悲しみを乗り越えて

 ブラジルに関して、サッカーに次いで有名なのがカーニバルだろう。

 キリスト教でもっとも重要な祭日はイエスの復活を祝うイースターだ。そして四旬節と呼ばれるイースター前の46日間に断食を行い、身を清める。この四旬節の直前に行われるのがカーニバルだ。

 カーニバルの語源はラテン語の “carne vale” で、「肉よ、ありがとう」の意味。日本語訳の謝肉祭もここから来ているわけだが、ブラジルではこれが「断食前に騒ごうぜ!」と解釈されたらしい。

 ブラジル三大カーニバルはリオデジャネイロ、サルバドール、レシフェ&オリンダ(無形文化遺産「フレヴォ、レシフェのカーニバルの舞台芸」)のもの。いずれも世界遺産登録地で、数百万の人々が祭りに参加し、数日間にわたって踊りに踊る。カーニバルは見るものではなく、踊るものなのだ。

 カーニバル自体はド派手で底抜けに明るいが、どこかもの悲しいのもまた事実。実際サンバの歌詞には涙を誘う歌詞が少なくない。「悲しいなら踊ってしまえ」。カーニバルを見ていると、こんな思いを感じてならない。

 ブラジルの融合文化は先住民や黒人奴隷の悲しみの歴史でもある。それは「負の遺産」であると同時に、その悲しみを乗り越えて笑顔を築き上げてきたブラジルの誇りでもある。

 ※掲載している情報は、記事執筆時点(2014年6月2日)のものです。

連載記事

世界遺産を味わう:メキシコの魂 テキーラ
長谷川 大

長谷川 大

世界遺産&旅行ライター

横浜国立大学卒業後、出版社勤務。三国志・戦国時代・幕末・ギリシア神話など、歴史ものを中心に編集・ライティングを行う。世界一周の旅を経てフリーの編集者・ライターとして活動中。これまでの訪問国数は68か国、世界遺産は182か所。All About「世界遺産」公式ガイド。http://allabout.co.jp/gm/gt/563/

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