城メグリスト・萩原さちこの「名城に学ぶ」(第10回)

大坂城/地下に眠る秀吉の城と地上に立つ徳川の城

2014.04.28 Mon連載バックナンバー

 こんにちは。城メグリストこと城郭ライターの萩原さちこです。前回の弘前城の記事はいかがでしたか?人気の城や話題の城にスポットを当て、魅せられる理由や感じたことを、時にビジネス視点も交えながらお伝えするこの連載。第10回は、大坂城(大阪府大阪市)です。
※明治維新後に「大坂」から「大阪」へ表記が変わるため、本稿では築城時の表記に合わせて「大坂城」と記載しています。

 

秀吉時代の大坂城は存在しない

 「さすがは太閤さんの城や!」などと讃えられ、大阪のシンボルになっている大坂城。ですが、現在の大坂城は、“太閤・秀吉の城”ではなく、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡した後に、江戸幕府の直轄の城として築かれた“徳川幕府の城”。しかも、天守を建て替える程度のリフォームではなく、一度更地にしてから建て直した、まったく別の城です。

 秀吉時代の大坂城は1〜10メートルの盛土をして完全に埋め立てられ、その上に石垣が築かれています。堀も石垣も櫓も門も、現在私たちが目にする姿は、すべて徳川幕府によるもの。秀吉時代の原型はなく、遺構は石ひとつ地上に存在しません。

 

現在の4倍の広さを誇る巨大な城

 秀吉の主君である織田信長は、天下統一を成し遂げた暁には大坂城を築いて商業都市を構築し、国家の中心地にしようと考えていたようです。その志を受け継いで、秀吉は大坂城を築きました。

 大坂城のある場所は、信長が10年以上に渡って戦い奪った石山本願寺の跡地です。信長が苦心の末に手に入れた地に、秀吉は足かけ16年をかけて最高傑作となる城を築城したのです。

 秀吉が築いた大坂城は、とにかく広大でした。本丸、二の丸、三の丸のまわりをぐるりと囲み、城地の総面積は現在の約4倍といわれます。規格外のその姿は、17世紀にオランダで出版されたモンタヌスの『東インド会社遣日使節紀行』(通称『日本誌』)で「七不思議に次ぐ世界8番目の不思議」と記されているほど。まさに三国無双の名城だったようです。

 秀吉は大坂城の出来映えにご満悦で、「絶対に落とすことはできない」と豪語していたといいます。しかし… 続きを読む

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萩原 さちこ (城メグリスト)

萩原 さちこ (城メグリスト)

城郭ライター、編集者

執筆業を中心に、メディア出演、講演、講座もこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』『「現存」12天守めぐりの旅』(学研パブリッシング)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)など。『月刊歴史読本』(KADOKAWA)で「萩原さちこのこだわり城郭探訪」連載中。文化財石垣保存技術協議会会員、日本城郭検定公式サポーター。公式サイトはhttp://46meg.jp

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