銘酒ふれあいの旅(第7回)

四万十川のしずく、「無手無冠 栗焼酎ダバダ火振」

2013.10.12 Sat連載バックナンバー

 皆様ご機嫌いかがでしょうか。株式会社ミントスの大石敏夫です。「銘酒ふれあいの旅」をご愛読いただきましてありがとうございます。今回は、土佐の高知から日本最後の清流といわれる四万十川を訪ね、その地で生まれた栗焼酎の銘酒「ダバダ火振」についてお話ししたいと思います。

 

四国と土佐を考える

 四国はその名の通り四つの国からなっている。古くからの名称で言えば、阿波(徳島県)、讃岐(香川県)、伊予(愛媛県)、土佐(高知県)の四国である。
 その四つの国を峻嶮な山々が隔て、古来、お互いの交流を妨げてきた。吉野川から佐多岬にかけて、中央構造線が四国を東西に貫き、瀬戸内側と、太平洋側を峻別している。山は高く、四国山脈の石鎚山(1982m)は西日本の最高峰である。おまけに、山が海岸に迫り、平野がきわめて少ない地形が道を造りにくくし、ますます交通の便を悪くした。これからお話しする土佐の高知はその典型であろう。
 幕末になぜ土佐が維新回天の原動力の一つになったのか。上士と郷士という藩内独特の身分制度が発する強烈な摩擦エネルギーもその一つであろう。だが、私は地政学的に土佐が持つ辺境性が大きな要因となっていると思えてならない。前に述べたように、四国は四つの国が互いの交流に乏しく疎遠で、逆にそれぞれが本州とつながりを持っていた。
 阿波は淡路島を経て難波(大阪)と結び、讃岐は狭い瀬戸内海を渡って岡山、兵庫に進出し、伊予は島伝いに目と鼻の先の広島と交流した。だが、土佐だけは三方山に囲まれて、出口は南に臨む太平洋しかなかった。したがって、特に経済交流を行う地域がなく、政治的、文化的に海の向こうの中央(江戸)への意識が高かった。そのような地域性が、維新の原動力になり、ジョン万次郎や坂本竜馬を生んだのではないだろうか。

 

無手無冠 四万十川特産 栗焼酎ダバダ火振

 私は仕事の都合で度々高知にお邪魔する。高知市では、日航ホテル高知を定宿にしている。その日航ホテルの裏口を出るとホテルの駐車場の隣に小さな酒屋がある。酒屋の入り口に、「ダバダ火振入りました」という看板が時々かかっているのが気になっていた。入口の引き戸のガラス越しに中をのぞくと、小さなテーブルと椅子が置いてあり、そこで酒の試飲が出来るようである。中に入って、「ダバダ火振」と看板が出ていたがどんな酒か、と聞いてみた。
「四万十の栗焼酎です。作る量が少なくて、ここでもなかなか入庫してこないですよ」
「一杯、飲ませていただけますか?」
「どうぞ、どうぞ、ここにおかけください。いま用意しますから」、気のよさそうな女主人がニコニコしながら言った。
無手無冠 四万十川特産 栗焼酎ダバダ火振 これが、無手無冠(むてむか)の「栗焼酎 ダバダ火振」との出会いであった。
 女主人がダバダ火振と白菜の塩漬けを運んできた。一升瓶からコップ七分目程ダバダをついで、黙ってこちらを見ている。色は無色透明、コップを手に取って匂いを嗅いでみる。栗のかおりがほのかにする。一口口に含んでみた。とろりとした舌触りだ。思ったより癖がなく飲みやすい。まろやかな甘みが口の中に漂う。白菜を一切れ食し、さらにダバダを一口飲む。口の中に残った塩味と白菜の旨味がダバダと調和し何ともうまい。
「いかがですか?」
「うまいね!」と言うと。女主人はうふっとほほえんで、奥に引っ込んでいった。
 明日は、某ホテルの研修でダバダの故郷四万十市に行くのだ。… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

大石 敏夫

大石 敏夫

株式会社ミントス 代表取締役社長

1972年日本航空株式会社入社、勤労部、客室乗員訓練部、日航財団事務局長、運航乗員訓練部副部長等を務め、JALシミュレーターエンジニアリング常務取締役にて2007年退職。主に人材管理・育成部門を担当。
現在、ビジネスマナー、コミュニケーション中心とした研修会社、株式会社ミントスを経営するかたわら、大学にて講義を行っている。元桜美林大学特任教授、城西国際大学講師、日本観光研究学会会員、日本国際政治学会会員、メンタルヘルス資格(ラインケア)。

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter