偉人・名将に学ぶ経営術(第5回)

上杉鷹山<前編>~有言実行の指導者による精神の改革~

2013.03.05 Tue連載バックナンバー

 財政破綻寸前の米沢藩を17歳という若さで引き継ぎ、次々と改革を実践し藩財政を再建した上杉鷹山。その偉大さは有言実行のスペシャリストとして、自らを厳しく律するとともに民への思いやりにあった。第1回は、鷹山が行なった「精神の改革」についてお話しましょう。

 

有言実行のスペシャリスト上杉鷹山とは

有言実行のスペシャリスト上杉鷹山とは  上杉鷹山は1751年9月9日、日向高鍋藩主秋月種美の次男として江戸で生まれました。鷹山が生まれた江戸中期は、幕府はもとより多くの藩が財政危機に陥っていました。鷹山は10歳で米沢藩主・上杉重定の養子となりますが、当時、米沢藩の財政は破綻寸前で、借財が200億円に達していたといいます。その窮状に、重定は藩領を返上して領民救済を幕府に委ねようとしたほどでした。今でいえば倒産の末に公的再生を図るのと同じことでした。
 そんな中、鷹山は弱冠17歳で新藩主の座につき、米沢藩の再建に乗り出します。しかし、そこには「人の壁」という大きな障害が立ちはだかっていました。上杉家は謙信以来の名家としてのプライドが高く、何事も伝統としきたりを重んじ、古い考え方に縛られていました。多くの重臣や家臣もこの上杉家の家風にどっぷりと浸っていたのです。
 鷹山は、藩主就任早々に身分を問わず藩士達を集め、自身の改革について説明し協力を求めました。これに対し、一部の藩士達は鷹山の話に感動して協力を誓いましたが、多くの藩士達は真っ向から反対したり、無関心を装うという状況でした。
 こうした中、少しずつ鷹山の改革は進んでいきます。それは、改革を妨げるものは絶対に許さないという強い信念のもと、自他ともに厳しく律したことが、頑なだった「人の壁」を徐々に崩していったのです。
 鷹山は、質素な綿の着物を着て、粥を主食とすることで倹約を示しました。そして、最後まで鷹山の改革を妨害し続けた重臣達を涙をのんで処断するなど、その覚悟を示しました。こうした、鷹山の有言実行の姿を見て、家臣も領民も心を動かされていったのです。

 

鷹山の改革の真髄・精神の改革

鷹山の改革の真髄・精神の改革

 鷹山の米沢藩改革案の柱は、1.精神の改革、2.財政の再建、3.産業の開発の3本柱でした。中でも「精神の改革」は、鷹山の改革の根本をよく表しています。そして、その根本とは、民への「優しさと思いやり」で、これを改革に取り入れ、鷹山は「民の父母」となることを誓ったのです。
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高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

ベストフィールズ代表

大手アパレルで店舗開発を担当、その後、専門誌系出版社で企画編集を中心に勤務、退社後、編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」を立ち上げる。旅行・歴史・フード・ペット・マリンスポーツなどのエンタメ系から経済、ファッションまで幅広い分野での書籍・雑誌・ムック・商業制作物の執筆、編集、撮影、制作を行なっている。

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