偉人・名将に学ぶ経営術(第2回)

織田信長<後編>~情報力と先見性、そして冷静な判断力~

2013.02.13 Wed連載バックナンバー

 安土桃山時代の礎を築いた織田信長。天下統一を目指した戦国大名として、決して強くなかった母体(領地)をいかにして強力なものにしたのか。後編は、情報収集力・新兵器の採用・競争相手に対しての冷静な対応力をテーマに探ってみました。

 

優れた情報収集力と分析力

優れた情報収集力と分析力 現代の経営において情報収集力はとても大切です。そして、単に情報を得るだけでなく、それをいかに解釈して利用するか、それが真の情報力とされます。
 信長は、情報収集とその分析力に長けていた戦国大名でした。では、信長の情報収集について、いくつか例をあげてみましょう。
 信長は尾張を統一すると、小折城(生駒屋敷・現江南市)を頻繁に訪れるようになります。小折城主・生駒氏は、代々、灰や油を商い、馬借として莫大な財をなした武家商人で、当主の娘・吉乃は、信長の側室として、長男信忠、次男信雄を生んでいます。
 小折城には、全国からたくさんの商人や旅人が出入りしており、尾張における一大情報集積地となっていたのです。小折城は、信長の情報センターとして機能し、彼はここで諸国からもたらされる貴重な情報を得て、分析していたのです。
 さらに、生駒氏の親族である川並衆(木曽川を管理する川賊)の蜂須賀小六や前野将右衛門を使い、情報収集活動を行ないました。小六らは、桶狭間の合戦時にも仲間や配下を使って、今川軍の動きと、刻々と変化する戦況を信長に知らせていました。桶狭間の合戦は、情報をもとに奇襲戦を敢行した信長が今川義元を討ち取って勝利しました。この戦いの勲功第一は、義元の首を取った武士ではなく、今川軍の本陣の位置を信長に知らせた梁田政綱とされました。信長がいかに情報を重要視していたかが理解できるでしょう。
 信長は父・信秀から萱津の甚目寺門前市の権利を引き継いでいました。当時、定期市は多くの人と情報が集まる場でした。後に、信長が城下町で行なう「楽市・楽座」も、経済活動はもとより、情報収集の場として大いに活用したことでしょう。

 

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高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

ベストフィールズ代表

大手アパレルで店舗開発を担当、その後、専門誌系出版社で企画編集を中心に勤務、退社後、編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」を立ち上げる。旅行・歴史・フード・ペット・マリンスポーツなどのエンタメ系から経済、ファッションまで幅広い分野での書籍・雑誌・ムック・商業制作物の執筆、編集、撮影、制作を行なっている。

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