名車伝説!「走りを忘れられない大人たちへ」(第4回)

孤高の世界戦略車 日産フェアレディZ

2013.09.30 Mon連載バックナンバー

 「スポーツカー風」の車は数々ありますが、スタイルや走行性能で厳しく審査すると、現在、市販されている国産車のうち、本物のスポーツカーとして太鼓判を捺せる車は、日産フェアレディZだけでしょう。国内で長く続くスポーツカー氷河期を生き抜いてきたこの車こそ、日本人が本当の意味で車文化を理解する日を待ち続けている孤高の先駆者といえるかもしれません。

 

誕生はテレビ普及率5割以下の時代

 日本ではフェアレディZと呼ばれるこの車ですが、海外では長く、日産の海外ブランド「ダットサン」の名前を冠して、「ダットサンZ(ズィー)」と呼ばれてきました。大人気を博した米国などではさらに「Zcar(ズィーカー)」と呼ばれることもあり、日産のブランドイメージを高め、広める大きな働きをしています。
 Zの前身である初代フェアレディが誕生したのは、もう半世紀以上も前の1960年のことです。当時の社長が米国でミュージカル「マイ・フェア・レディ」を鑑賞。その人気にあやかりたいということでフェアレディと名付けたといわれています。
 そのエピソードの通り、米国市場を見据えた輸出専用車という位置づけだったため、作られたのは左ハンドル車のみでした。当時の日本はといえば、まだテレビの普及率が5割にも満たない時代。自動車の輸出台数も3万8809台と、32万台あまりを輸出する米国の足下にも及ばない「途上国」です。そんな国から、イメージはもちろん、走行性能が真正面から問われるスポーツカーを輸出しようとしたわけですから、パイオニア精神の高さには驚かされます。
 その後、1969年にはフェアレディZが誕生。ポルシェなどの高級スポーツカーに匹敵するパワーと洗練されたスタイル、さらに格安の価格が大受けして、今日まで続く「Z」人気の原点を築きました。

 

ライバルは今も世界の名車たち

 フェアレディZを作る日産自動車は1990年代に一時じり貧状態に陥り、経営の危機がささやかれるようになってしまいます。ついには1999年、資本提携したルノーからカルロス・ゴーン新社長が送り込まれてくる事態に。不採算部門や車種をバッサリ切り捨てて改革をなしとげたゴーン社長ですが、フェアレディZについては、SUV全盛の時代に逆らって「復活」を指示。2002年には新型Zを自ら発表するほどの情熱を注ぎました。それもそのはず、… 続きを読む

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谷垣 吉彦/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

谷垣 吉彦/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

フリーランスライター

アダルト層向け商品の販促プランニングや、経営・医療系書籍の企画・立案・執筆など、幅広い分野でライターとして活動する。大阪ミレニアムミステリー賞を受賞するなど、エンターテイメント分野での実績も評価されている。

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