戦国武将 散り際の美学(第8回)

石田三成~大志と矜持を最期まで抱き続けた高潔の士

2014.06.07 Sat連載バックナンバー

生没年

生:永禄3(1560)年
没:慶長5年10月1日(1600年11月6日)享年41

 

わずか1日で決した関ヶ原、三成は苦渋の決断で逃走

 慶長5(1600)年9月15日、早朝からの霧が晴れた午前8時に開戦した関ヶ原合戦は、同日午後4時には徳川家康方東軍の勝利であっけなく終結した。

 雨後のぬかるむ田畑に布陣した東軍は総勢7万5,000、本陣を笹尾山においた西軍は総勢8万4,000。兵力でも地の利でも上をいった西軍が敗れたのは、毛利秀元軍以下、東軍の背後を狙う南宮山方面軍が動かなかったためか。それとも、小早川秀秋軍が裏切ったためか。

「私の人望がなかったためか」

 午後2時過ぎ、軍師・島左近の言葉に従って戦場を落ち延びていた西軍総指揮官・石田三成は煩悶した。

 その胸に親友・大谷吉継の言葉が響く。「三成、お前が総大将を務めても従う者はわずかだろう。名目だけでも、総大将は別の者にしろ」。

 西軍総大将は名家出身の毛利輝元となった。豊臣の天下を横取りしようとする家康を断罪できるなら、名目などどうでもいい。三成は潔癖で不器用な自分を重用してくれた豊臣秀吉の大恩に報い、豊臣家を守りたかっただけなのだ。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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