戦国武将 散り際の美学(第5回)

明智光秀~不相応な夢を抱いた武将の悲愴な最期

2014.05.11 Sun連載バックナンバー

生没年

生:享禄元年(1528年) ※諸説あり
没:天正10年6月13日(1582年7月2日)

 

本能寺の変で覇王信長を滅する

 天正10(1582)年6月10日、明智光秀は豊臣秀吉の軍勢が近いという報を聞いた。主君・織田信長を滅ぼし、大反逆者となった光秀は、織田家臣団の最大のライバル秀吉を迎え撃とうとする今、尋常ではない精神状態にあった。

 「天下布武」をかかげ天下統一を宣言した信長を倒し、光秀は「天下に最も近い男」だったが、そのプレッシャーに押しつぶされそうだった。このたとえようのない緊張感は、信長を討つ直前から続いていた。

 本能寺の変直前、京都を発した明智軍は戦勝祈願のために途中京都の愛宕山に立ち寄っている。このとき光秀はまだ謀反決行を決めかねており、何かにすがるようにおみくじを何度も何度もひいたという。さらに愛宕の威徳院で催された「連歌の会」で僧たちから笹ちまきがふるまわれると、心ここに非ずだった光秀は、ちまきを笹ごとほおばってしまった。

 それほどの緊張感の中で、6月2日の本能寺の変は実行された。圧倒的な兵力の差をもって見事信長を討ち取るも、光秀の試練はここからはじまるのであった。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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