戦国武将 散り際の美学(第46回)

宮本武蔵~求道の果てに達した静かなる臨終

2015.03.22 Sun連載バックナンバー

生没年

生:天正12年(1584年)※諸説あり
没:正保2年5月19日(1645年6月13日) 享年62

 

伝説の剣豪から兵法の求道者へ

 13歳ではじめて人を斬り、以来生涯60戦無敗。京都・一乗寺下り松の決戦では名大の又七郎を斬り倒して吉岡一門を退け、巌流島の決闘では佐々木小次郎を一刀のもとに下す。二天一流の開祖にして、幾多の武芸者と剣を交えた流浪の剣豪──、それが宮本武蔵の一般的なイメージだろう。武蔵の物語には古くから多くの人が魅了され、その伝説めいた強さは今もドラマや小説などで語られ続けている。

 しかし、小次郎との決闘のとき、武蔵はまだ29歳だったといわれる。齢62まで生きた生涯の半分にもいたっていないのである。

 では、巌流島以降の武蔵は何をしていたのだろうか。実は剣を置き、兵法の道理を追究する求道者となっていた。さらに、武蔵は求道の一環として水墨画や書画にも親しんでおり、なかでも『鵜図』『枯木鳴鵙図』といった優れた作品は国の重要文化財に指定されている。

 剣を置いたといっても、武蔵はその後いくつかの合戦に参加している。巌流島の決闘後には大坂の陣に参戦。大坂方として戦ったという俗説もあるが、徳川配下の水野勝成の客将としてだったことが証明されている。この戦いで武蔵は勝成の嫡子・勝重付として腕を振るった。また、55歳のときには島原の乱に参戦。ここでは百戦錬磨のイメージとは裏腹に、一揆軍の投石をすねに受けて負傷したとされている。

 

人生の集大成『五輪書』… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

連載記事

伊達政宗と片倉小十郎~独眼竜と名補佐の固い絆
かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter