戦国武将 散り際の美学(第42回)

前田利家とまつ~加賀百万石の危機を救った強き夫婦

2015.02.15 Sun連載バックナンバー

生没年

前田利家:
生:天文7年(1538年)
没:慶長4年閏3月3日(1599年4月27日) 享年62

まつ:
生:天文16年7月9日(1547年7月25日)
没:元和3年7月16日(1617年8月17日) 享年71

 

謀反を予言しながら逝く

 「槍の又左」の異名を持つ加賀(石川県南部)百万石の祖・前田利家は、普段から3間半(約6m30cm)もの長槍を持ち歩いていたとされており、異様に派手な服装や言動を好む「かぶき者」として有名であった。利家の着用と伝えられている「金子札白糸素懸威胴丸具足(きんこざねしろいとすがけおどしどうまるぐそく)」という、高さが70cmもある金箔塗の兜と、同じく金箔を全面に貼られた派手な胴丸からも、若き利家のかぶき者ぶりが伺える。

 また、弘治2(1556)年の尾張稲生(いのう)の戦い(愛知県名古屋市)では、敵の宮井勘兵衛によって右目の下に矢を射られながらも、この矢を抜かず勘兵衛を討ち取ったという、猛将ぶりを表す逸話が残っている。

 一方で、利家は律儀者としても知られており、若い頃からよしみのある豊臣秀吉が天下人となると、友情と信頼にこたえナンバー2として豊臣政権を支えた。

 慶長3(1598)年、秀吉は自分の死が近いことを察すると、旧友である利家に息子・秀頼の後見人を任じた。秀吉はしばしば、諸大名がいる前で利家が秀頼の守役であると明言しており、それだけ利家への信頼は強かった。また、自らの死後に徳川家康に対抗できるのは、利家だけだと考えていた。

 利家ももちろん親友の期待に応えようと、秀吉の死後、秀頼を守り家康に目を光らせていた。しかし、間もなくして利家も病魔に倒れた。自分の老い先が長くないことを悟った利家は、最愛の妻まつを呼び、遺言をしたためさせた。もはや自分で筆を取る力も残っていなかったのである。

「今から3年のうちに、世で騒乱が起こるだろう。秀頼様に謀反するような者がいたら、利政(次男)は加賀の兵を率いて、大坂にいる利長(長男)と力を合わせて戦うのだ」

 利家は急激に変わる情勢を憂い、兄弟力を合わせて豊臣家に忠勤を尽くすべきことを命じたのだ。

 家康が病気見舞いに訪れたとき、利家は布団の中に太刀を隠し持っていたというエピソードも残されている。最期の時まで、旧友との約束を果たさんと務めたのだ。

 

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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