戦国武将 散り際の美学(第32回)

細川ガラシャ~貫いた愛とプライドは欧州まで届く

2014.12.01 Mon連載バックナンバー

生没年

生:永禄6年(1563年)
没:慶長5年7月17日(1600年8月25日) 享年38

 

父と夫の突然の裏切り

 細川ガラシャは明智光秀の三女で、本名を細川玉という。

 天正6(1578)年、ガラシャは16歳で細川藤孝の嫡子・細川忠興(ただおき)へ輿入れした。しかしそのわずか4年後、3男2女の子宝に恵まれながら仲良く幸せに暮らしていた彼女のもとに、突然悲しい知らせが届く。

 父・光秀が謀反を起こし、織田信長を討ったのだ。天正10(1582)年、本能寺の変である。幸福な日々は一転、父・光秀は羽柴秀吉に討たれ、ガラシャは反逆者の娘となってしまった。離縁はされなかったものの、彼女は京都の山中に幽閉されてしまう。訪れる者もなく、夫にもわが子にも会えない日々が続いた。幽閉生活は2年にも及んだ。

 天下は秀吉のものとなり、ガラシャはようやく蟄居を解かれ、夫の待つ大坂城下の細川屋敷へ入ることとなった。ガラシャが不在の間、夫・忠興は側室を迎えていたが、当時、正妻以外に側室をもうけることは当然のことであった。忠興もガラシャへの愛情を失った訳ではないだろう。しかし、その愛情は異常な嫉妬に歪んだものとなっていた。

 2人のエピソードとして、細川家記である『綿考輯録(めんこうしゅうろく)』にはこう記してある。忠興はガラシャの外出を禁じ、男性の目に触れないよう厳命していた。しかしある日… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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